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2010年8月22日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:Iヨハネ1章〜4節 |
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[1]初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、[2]―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―[3]私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。[4]私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。 |
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説教要旨 |
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使徒ヨハネは、この手紙の冒頭において大きく2つのことについて述べている。 〈1:私たちが信じている御方はどのような御方か?〉 さらにヨハネは、この御方を「いのちのことば」「永遠のいのち」と紹介している。私たちの信じている御方は、永遠のいのちを持つ御方である。それが最も色濃く現されたのが十字架の死の後、3日目の“復活”である。死に勝利するいのち、決して滅びることのないいのちを神は持っておられ、この御方によって救いに与った私たち一人ひとりもまた、永遠のいのちを与えられているのである。 〈2:私たちはなぜキリストを伝えるのか?〉 最後に4節の御言葉に目を留めよう。「…書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです」、とある。滅びゆく一人のたましいが救いに与り、共に神の交わりの中に入れられる。これこそ、神の御国の民であるクリスチャンにとって最も大きな喜びなのである。私たちの喜びは、この御方を宣べ伝え、それを聞いた一人の人が救われることによって完全なものとなるのである。 |
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