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  御国の説教(6)−地引き網のたとえ  

2010年7月25日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイ13章47〜50節

[47] また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。 [48] 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。 [49]この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、 [50]火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

説教要旨

本日は、御国の説教に収録されている七つのたとえのうち、最後の「地引き網のたとえ」を共に見ていきたいと思います。このたとえは、毒麦のたとえに似て、神の民とそうでない者たちとのしばらくの共存と、世の終わりの御使いによる「正しい者」と「悪い者」の峻別を教えています。

〈「地引き網」漁法とは〉
「地引き網」とは、さまざまある漁法のひとつですが、なぜイエス様は「地引き網」を天の御国にたとえられたのでしょうか。その理由は神の国への招きである福音宣教の働きと「地引き網」漁法の特徴が一致するからです。三つの特徴が挙げられますが、第一に「地引き網」漁法は、最初から釣る魚を特定する漁法と異なり、「あらゆる種類の魚」を集めることが可能であること。「あらゆる種類の魚」を釣り上げるためには、「地引き網」を選択する必要があったのです。第二に「地引き網」漁法は、漁法の規模が大きいということです。

一人では絶対に出来ず、大勢の人が互いに協力し合う必要があるのです。第三に、食用にできる魚と食用に出来ない魚を分類する作業は、網を岸に引き上げてから行うという点です。漁法の性格上、網を岸に引き上げてからでないと、「良いもの」と「悪いもの」を分類することができないのです。

さて、ここで立ち止まって考えてみたいことがあります。それは、この「地引網のたとえ」を福音宣教の働きにどのように適用出来るかということです。一見すると、イエス様はここで超教派が協力して福音宣教をすることや大雑把な信仰の導きを肯定し、また教会内に救われていない人がいたとしても、そのままにすべきであると教えておられるように思えます。このことは、福音宣教の在り方の根本に関わる事柄でありますので、慎重に受け止め、正しい理解に至ることができるよう、主の導きをいただきたいと思います。

〈世の終わりのさばき〉
それはさておき、49、50節において述べられている、釣り上げた魚を「良いもの」と「悪いもの」を分類する作業の解説を見ていきましょう。まず、「この世の終わり」とは、「網を岸に引き上げ」に対応しています。これは、福音宣教のわざが完了した後に来る、神による最終的なさばきの時を示しています。その時に「御使いたちが来て」行われる作業が、「正しい者の中から悪い者をえり分ける」という分類なのです。「正しい者」とは、神の国の招きを受け入れ、神の前に罪赦され、義とされた人々を指し、「悪い者」とは、神の国の招きを拒み、罪が赦されていない人々を指しています。世の終わりの時には、自分は「正しい者」だと思い込んでいた人々の中から、実はそうでなかった「悪い者」が御使いたちによって取り分けられ、不信者と同じさばきに会うという事実がここで予告されているのです。   

私たちは、この教えを真摯に受け止め、自分が確かに御国の民とされているかどうかを改めて確認しましょう。教会に所属しているから、バプテスマを受けているからというだけで、救いが確証できるのではなく、大切なのは、確かに自らの罪を悔い改め、イエス様を救い主として信じているかどうかです。互いに、確かな救いの確証をいただいて、「世の終わり」を迎える者でありたいと思います。

 
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