検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
  揉め事に対する信仰的解決  

2010年7月11日(日) 夕拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:創世記21章22〜34節

[22]そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。 [23]それで今、ここで神によって私に誓ってください。私も、私の親類縁者たちをも裏切らないと。そして私があなたに尽くした真実にふさわしく、あなたは私にも、またあなたが滞在しているこの土地にも真実を尽くしてください」 [24]するとアブラハムは、「私は誓います。」と言った。 [25]また、アブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。 [26]アビメレクは答えた。「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それにあなたもまた、私に告げなかったし、私もまたきょうまで聞いたことがなかったのです」 [27]そこでアブラハムは羊と牛を取って、アビメレクに与え、ふたりは契約を結んだ。 [28]アブラハムは羊の群れから、七頭の雌の子羊をより分けた。 [29]するとアビメレクは、「今あなたがより分けたこの七頭の雌の子羊は、いったいどういうわけですか。」とアブラハムに尋ねた。 [30]アブラハムは、「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、七頭の雌の子羊を私の手から受け取ってください。」と答えた。 [31]それゆえ、その場所はベエル・シェバと呼ばれた。その所で彼らふたりが誓ったからである。 [32]彼らがベエル・シェバで契約を結んでから、アビメレクとその将軍ピコルとは立って、ペリシテ人の地に帰った。 [33]アブラハムはベエル・シェバに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神、主の御名によって祈った。 [34]アブラハムは長い間ペリシテ人の地に滞在した。

説教要旨

私たちは人生を歩む中で、しばしば揉め事に巻き込まれることがあります。このような事態に身を置いた時、私たちはどのような解決方法を選択するでしょうか。今日の箇所を通して、この揉め事を信仰的に解決するとは、具体的にどのようなことなのかをアブラハムの例を見て、考えていきたいと思います。

〈アブラハムが巻き込まれていた揉め事〉
まず、彼が巻き込まれていたのは、“水を巡る争い”であったことがわかります。「またアブラハムは、アビメレクのしもべどもが奪い取った井戸のことでアビメレクに抗議した。」(24節)アブラハムがこの時住んでいた地方は、荒野で砂漠が多く、「水」は大変貴重でした。水を確保するために、人々は井戸を掘るわけですが、実際に水が湧き出る井戸の数は限られていたのです。このような状況下で、住民同士の井戸を巡る争いは日常的なものだったのです(参照/創世記26:19〜20)。24節において示されているのは、彼がこの地方に来てから、井戸を掘る度に、アビメレクのしもべたちに奪い取られるという経験を重ねて来たということです。

〈アブラハムが巻き込まれていた揉め事〉
この極めて危機的な揉め事に対して、アブラハムは信仰的に問題の解決を図る選択をしました。具体的には(1)「解決の方法」と(2)「解決の時」を神に委ねたのです。彼は、アビメレクのしもべたちが自分にした不当な行為に対して、憤りに任せて事を荒立てたり、人間的な知恵や経験を頼りにして、自分なりの方法で問題の解決を図ることをしませんでした。むしろ、神は自分の置かれている状況をすべてご存知であり、最も良い解決の方法と時を用意しておられるという確信に基づいて、信仰を働かせたのです。かつては自分の思いに捉われて、神に委ね切れなかったアブラハムでしたが、ここでは、見事に自分の思いを神に明け渡したのです。

上述のことを踏まえて、22、23節を見るときに、一切を神に委ねることが最善の結果をもたらすのだということがわかります。驚くことに、問題の解決は、加害者であるアビメレクの方からやってきたのです。「そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとが・・・」(22節)しかも、軍事的・政治的に力のあるペリシテの王アビメレクに対して、アブラハムが交渉の主導権を握れる有利な立場に立っています。その理由として、「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」(22節)とアビメレクは証言しています。おそらくアブラハムと神との間にあった生きた関係が、周囲の人々に力強く証しされ、それがアビメレクには「神が味方する人」と映ったのではないでしょうか。

〈神の時を生かすアブラハム〉
このような神が与えてくださった問題解決の機会を、アブラハムは最大限に生かしました。彼は、アビメレクからの平和条約締結の提案に対して、即座に「私は誓います」(24節)と答えることによって、問題解決のタイミングを逸しなかったのです。一切を神に委ねる人は、その人の内に神の御霊が働かれるので、最善の時を見極めることができるのです。また、「アブラハムは・・・抗議した」(25)とあるとおり、きちんと確認すべきことを伝えました。中途半端な問題の解決は、後々しこりを残すことをアブラハムはよく知っていたのです。さらに、「七頭の雌の子羊をより分けた」(28節)とあるとおり、目に見える証拠を残したのです。神に一切を委ねていたからこそ、神の知恵に導かれて、このように出来たと思います。

このようなアブラハムの姿を通して、人生の揉め事を、信仰的に解決することが具体的に示されているのです。ロバート・シュラーというアメリカの牧師は、「私たちは問題それ自体をコントロールできなくても、自分自身の反応はコントロールできるのだ」と述べていますが、私たちにできることは、問題そのものをコントールすることではなく、問題解決の方法と時をご存知である神にお任せる選択をすることではないでしょうか。信仰の父アブラハムを良い模範として、私たちも人生の揉め事を信仰的に解決する者でありたいと思います。

「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。悪を行なう者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう」(詩篇37篇3〜9節)

 
Copyright (C) 2007 - 2010 Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.
Japan Baptist Bible Fellowship