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  御国の説教(1)−種蒔きのたとえ  

2010年6月13日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書13章1〜9節、18〜23節

[1]その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。 [2]すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。 [3]イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 [4]蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 [5]また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 [6]しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 [7]また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 [8]別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 [9]耳のある者は聞きなさい。」

[18]ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 [19]御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。 [20]また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 [21]しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 [22]また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。 [23]ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

説教要旨

本日の箇所から、イエス・キリストによる「御国の説教」が始まります。これはマタイ福音書に収録されている五大説教の内、三番目の説教です。ここでは、イエス・キリストによって地上に到来した「天の御国」の特徴が、七つのたとえによって明らかにされています。

〈御国の説教の特徴〉
この説教の特徴として、民衆に対しては、すべてが「たとえ」だけで語られている点があげられます。「たとえ」には、(1)人の興味をとらえること、(2)聞く者に自ら考えさせその教訓を悟らせること、(3)難解な真理を具体的に示すこと、(4)聞く態度を持たない者にとって真理は謎のままとなる、と四つの利点がありますが、ここでイエス様は、特に(4)を意図されて「たとえ」を用いられたのです。

すなわち、神の言葉に対して心を閉ざす人は、真理からますます遠ざかってしまうということです。説教が難しいから理解できない、だからわからないままでいる、という態度は、無責任だと言われているのです。第一のたとえの結論で「耳のある者は聞きなさい」(9節)とありますが、これには、聞こうとする意志を持つ者は、隠されている意味をしっかり読みとるように、という意味が込められているのです。

〈「種蒔きのたとえ」から汲み取れること〉
上述のことを踏まえて、このたとえを見ていきましょう。ここに紹介されている四つの土地の内、最初の三つは、神の御言葉という「種」を受け付けない(聞く態度を持たない)人の心の状態で、最後の一つは、神の御言葉という「種」を受け付ける人の心の状態です。

最初は、「道端」(4節)ですが、この土地が示しているのは、人の心が様々な出来事によって踏み固められてしまった状態です。このような心の状態の人は、御言葉の種が心に蒔かれても、入り込む余地がないのです。

次は「土の薄い岩地」(5節)です。この土地が示しているのは、御言葉を受け入れる余地が少ししかない心の状態です。ですから、最初は「すぐに喜んで受け入れる」(20節)のですが、「困難や迫害」(21節)等、自分の都合次第で、簡単に態度を変えてしまうのです。

三番目は「いばらの中」(7節)です。この土地が示しているのは、この世に対する執着心が強い心の状態です。22節では、「みことばは聞くが、この世の心遣いと富の惑わしとがみことばをふさぐ」と言われています。多くのことに興味をもち過ぎて、一番大事なことを顧みないと、信仰の芽が一向に成長しないのです。

一方で、最後の土地である「良い地」が示しているのは、神様の言葉をあるがままに受け入れる心です。このような心の持ち主は、種(御言葉)を受け入れるだけの柔らかい心を持ち、雑草の根(欲望)も残っていないので、神様のことばを素直に聴くことができるのです。

さて、私たちは、自らの心の状態を、正確に把握できているのでしょうか。もし、御言葉が心に入っていかない、信仰が成長しないとするならば、本当の原因がどこにあるか、今一度主に示していただきましょう。

 
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