検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
  幸せって何だろう?  

2010年5月23日(日) 礼拝説教要旨
説教者:白石 公章 師

説教要旨

人は誰でも自分の幸福の鍛冶屋(かじや)、ドイツの古いことわざにあるそうです。鍛冶屋といっても現代では、ピンとこないかもしれません。火を起こし、ふいごで高温にしながら金属を延ばして成型する作業で、それは暑く重労働が強いられました。同じような苦労が自分の人生を築き上げるのにも必要だと言うことでしょうか。あるいは、それを良くするも悪くするもその人しだいということでしょうか。他人への甘えをゆるさない厳しい言葉にも聞こえます。

もちろん私たちの人生には、自分のがんばりや努力によってはどうしようもないことが多々あります。思いがけない病気や事故の危険性はいつも私たちの回りにあります。また辛い思いをしているからといって、その人に全ての責任があるわけでもありません。ですから、ある人は他人の人生をうらやましく思います。私にもあんな健康があったら、あんな財産があったら、あんな家族がいれば、そうすれば私も幸せになれるのにと。

しかし、結局、他人との比較の中で幸せを手に入れようとすると、その幸せは長続きするものとはなりません。自分より幸せそうな人を見れば妬んだり、みじめな気持ちになってしまうのです。人の数だけ人生はあります。肝心なことは、どんな状況下にあっても変わることのない指針や原則をもつことができるかどうかにかかっています。そうすれば、環境がどのように変化しようとも、私は生きるに足る人生を歩んでいると思えるのではないでしょうか。

聖書はそんな人の姿を「水路のそばに植わった木のようだ」と言っています。雨が降らずに、他の緑がすべて枯れても、繁茂している木々がある。それは根が水源につながっているからだというわけです。人生の悲しみや苦しみの中でも、私たちがそれを乗り越えていくことができるとするなら、秘訣はここにあります。では私たちは一体どこにつながっていれば良いのでしょうか?それは私たちに命を与えてくださったお方、私たちの罪のために十字架にご自身のいのちを捧げてくださったイエス・キリストにつながっていれば良いのです。あなたの人生を他人まかせにしてはなりません。あなたもまた、あなたの幸福の鍛冶屋なのですから。

 
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.