検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
  母ハンナの涙の祈り  

2010年5月9日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:Iサムエル1章

[1]エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。[2]エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。[3]この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。[4]その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。[5]また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。[6]彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。[7]毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。[8]それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」[9]シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。[10]ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。[11]そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」[12]ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。[13]ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。[14]エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」[15]ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。[16]このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」[17]エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」[18]彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。[19]翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。 [20]日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから。」と言って、その名をサムエルと呼んだ。[21]夫のエルカナは、家族そろって、年ごとのいけにえを主にささげ、自分の誓願を果たすために上って行こうとしたが、[22]ハンナは夫に、「この子が乳離れし、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまでは。」と言って、上って行かなかった。[23]夫のエルカナは彼女に言った。「あなたの良いと思うようにしなさい。この子が乳離れするまで待ちなさい。ただ、主のおことばのとおりになるように。」こうしてこの女は、とどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。[24]その子が乳離れしたとき、彼女は雄牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携え、その子を連れ上り、シロの主の宮に連れて行った。その子は幼かった。[25]彼らは、雄牛一頭をほふり、その子をエリのところに連れて行った。[26]ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。[27]この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。[28]それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。

説教要旨

本日は、母の日にちなんで聖書が教える模範的な母親像を学びます。その母親とは預言者サムエルの母ハンナです。私たちはこのハンナの信仰の姿を通して、神がその祈りを聞き、祝福される母親像に迫っていきたいと思います。

〈不幸な境遇の女性であった〉
まず聖書は、ハンナが家庭において深刻な悩みを抱えていた女性であることを証言しています。2節には、「子どもがなかった」とあるとおり、ハンナには不妊の女としての悩みがありました。また、6節には「彼女を憎むペニンナは・・・彼女をひどくいらだたせるようにした」とあるように、「もうひとりの妻」であるペニンナによる嫌がらせもあったのです。

このペニンナは、夫エルカナに愛されていたハンナを妬み、ライバル心を燃やしていたのです。その妬みは、陰湿な嫌がらせ(7節)という形で表され、そのためハンナは「心に悩みのある女」(15節)として憂鬱な日々を送っていたのです。

〈精神的に強くなかった〉
もうひとつハンナについて言えるのは、精神的な弱さを抱えていたという点です。本日の箇所の中には幾度か、ハンナが感情的になっている様子が描写されています。「気をもむ」(6節)、「いらだつ」(6節、7節、16節)、「泣いて」(7節、10節)。

辛い状況の中で、自らの感情を抑えることができない点は、ハンナが精神的にあまり強くない事実を表していると言えます。このような、ハンナの弱さは、ペニンナによる嫌がらせに対して、「泣いて食事をしようともしなかった」(7節)との弱い態度においても明らかです。

同じような状況でアブラハムの妻サラが自分を見下げるハガルに対して断固とした態度を取ったことを考えると(創世記16章)、ハンナの精神面での弱さがよく理解できます。

〈神への信仰があった〉
一見するとあらゆる面で模範的でないハンナでありますが、彼女は神への信仰という面において極めて秀でた女性であったのです。ハンナは最も苦しい中で、その心を神に向け、主の宮において涙の祈りをささげました。「万軍の主よ。もし、あなたが・・・このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。」(11節)

ここには信仰の模範となる三つの点が示されています。

第一は、神のみが私の一番の理解者であるとする点。ハンナには、彼女の良き理解者であろうとする夫エルカナがいましたが、一番の理解者は神であったことがわかります。

第二は、不可能を可能にする神に信頼したいた点。哲学者キルケゴールは「信仰とはありそうもないことの中へあえて踏み入ることだ」と述べておりますが、ハンナはこの意味での信仰を持っていたのです。

第三は、神にささげることの祝福を知っていた点。まだ身篭ってもいない子を「一生主におささげします」と宣言できるとは、ハンナの信仰理解の中に、神にささげることが祝福の基であるという確信が含まれていた事実を表しています。

結論として、神がその祈りを聞き、祝福される母親とは、たとえ現実の状況が悪く、精神面で弱さを抱えていたとしても、心を主に向け、心からの信頼をもって祈る人です。私たちもハンナを模範として、その信仰に倣う者となりましょう。

 
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.