検見川聖書バプテスト教会
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  いのちのパンに生かされて  

2010年5月2日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ヨハネの福音書6章32〜35節

[32]イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。 [33]というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」 [34]そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」 [35]イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

説教要旨

本日は「いのちのパン」によって生かされることの意味を、イエス・キリストとアニメのキャラクターであるアンパンマンとの共通点をあげながら、考えていきたいと思います。

〈両者に共通する三つの点〉
この両者に共通することが三つ挙げられますので見ていきましょう。

第一にあげられる共通点は、両者共に自分がパンだと自覚している点です。アンパンマンは、食用のパンで体が出来ていたので、当然そのことを自覚していましたし、イエス様の場合は「わたしがいのちのパンです」(6章50〜51節、58節)との自己紹介のことばから明らかです。ちなみに、「いのちのパン」とは、"人に霊的ないのちを与える食べ物"という意味です。人間の魂の飢え乾きを満たすのは、「いのちのパン」によってのみ可能であることが示されています。

第二番目の共通点は、天から下って来たパンである点です。アンパンマンはジャムおじさんが作ったパンの種に、空から降ってきたいのちの星が落ち、誕生しました(第一話「誕生編」参照)。それで心を持ったパンとなったのです。一方、イエス様は神が人となられたお方です。ヨハネ6章では、「天から下って来た」(38、41、50、58節)ことが強調されていますが、イエス・キリストは、神のみこころを行うために、人間の姿をとってこの世に下って来られたお方なのです。この神のみこころは、「子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つこと」(6章40節)にあります。

三番目の共通点は、自分を犠牲にして人にいのちを与える点です。アンパンマンは文字通り、空腹で困っている仲間に、自分の顔の一部を与えることで、人を助けました。彼はどんなに大きな犠牲を払ってでも、目の前にいる仲間を決して見捨てないのです。一方、イエス様は、その生涯の終わりにご自分の体を十字架の上でささげられました。それは、私たち人間の罪を贖うためであり、ご自身を信じる者すべてに「永遠のいのち」を与えるためだったのです(ヨハネ20章31節)。ここに、自分を犠牲にしてでも人を生かそうとされる深い愛が示されています。以上、両者の共通点をあげさせていただきました。聖書が指し示している救い主は、理解不能なお方ではなく、子どもでも十分に理解できるお方なのです。

〈まとめ〉
さて、私たちは、「永遠に生きる」ために、あるいは魂の飢え渇きを満たすために、「いのちのパン」であられるキリストを食べて(信じて/信頼して)おられるでしょうか。残念ながら、多くの人々が、魂の飢え乾きを満たすものがどこにあるのかわからないまま生きています。私たちは、神の前に自分の魂の飢え乾きを素直に認め、「私にいのちのパンが必要です」と謙虚に願い出る者でありたいと思います。そして、「いのちのパンに生かされて」歩む人生を大いに満喫しましょう!

 
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