検見川聖書バプテスト教会
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  心に満ちているものを口が話す  

2010年4月18日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書12章33〜37節

[33]木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。 [34]まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。 [35]良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。 [36]わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。 [37]あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」

説教要旨

本日は、人が口にすることばの問題と心に満ちているものとの関係を考えていきたいと思います。イエス様はこのことを、「木」と「実」の関係、「倉」とそこに収納している「物」の関係に例えておられます。

〈人が口にすることばの問題〉
私たちは、生きる上で他の人とコミュニケーションを取る必要を覚えています。それゆえ、自分の考えや思いをことばに変換して人に伝えるのです。しかし、人が口にすることばには大きな問題が潜んでいます。それは、人は言ってはならないことを口にしてしまうという問題です。私たちが口にすることばは、後で言って良かったと思うものと、後で言わなければ良かったと後悔するものに分けることができます。利己的な思いに捉われている時や相手に対する不満がたまっている時などに発することばは、人の心を傷つけ、修復不可能な人間関係へと発展させるのです。

〈人が口にすることばと心との関係〉
さて、上述のことを踏まえて、人が口にすることばと心との関係を考えていきましょう。本日の箇所においてイエス様は、ご自分を「悪霊のかしらベルゼブル」呼ばわりしたパリサイ人に対して、人が口にすることばはその人の心の状態と密接に関係している事実を指摘されました。それは、「木と実」と「倉と物」の例えで言われているように、人の心の良し悪しが、ことばの良し悪しを規定するということです。

「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです」(33節)、「良い人は良い倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪い倉から悪いものを取り出すものです」(35節)。これら二つの例えに共通する事実は、ことばと心との間にある密接な関係です。ですから、「心に満ちているものを口が話す」とのことばは真実なのです。以上のことから私たちは、ことばは心の鏡であり、その人自身を反映するものであることを知るのです。

※34節では、「まむしのすえたち」(34節)とイエス様からパリサイ人が呼ばれています。「まむしのすえ」とは、彼らの本性を示す厳しい表現です。「まむし」は、人々を死に追いやる毒を注入する動物です。いくら外側が立派に見えても、その本性が悪いならば、「良いこと」は言えないのです。

〈ことばによって人はさばかれる〉
最後にイエス様は、私たちが口にすることばを軽く考えてはいけないことを教えておられます。「人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです」(36〜37節)。このイエス様のことばを厳粛に受け止め、私たちが口にすることばに十分に気をつけるだけでなく、悪いことばを生み出す心そのものに目を向ける者となりましょう。そして、神によって心を「良い木」、「良い倉」に変えていただくことを求めていきたいと思います。

 
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