検見川聖書バプテスト教会
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  赦されない罪  

2010年4月11日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書12章31〜32節

[31]だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。 [32]また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

説教要旨

本日は、イエス様がパリサイ人の非難に対して言われたことば「聖霊に逆らう冒涜は赦されません」の意味を解き明かします。ここから私たちは、聖霊の導きに従って自らの罪を悔い改めることがいかに重要であるかを覚えたいと思います。

〈「赦される罪」と「赦されない罪」とは?〉
まず確認したいことは、ここでイエス様は、罪を程度の軽いものと重いものの二種類に分類しているのではないということです。聖書は私たちに対して、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3章23節)、「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9章27節)と、すべての罪が神の裁きの対象であることを教えています。

しかし同時に、神はあわれみ深いお方であり、私たちの罪に従って裁かないことも聖書は教えているのです(参照 詩篇86篇5節、103篇8〜14節)。義と憐れみを合わせ持つ神の御心は「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(ヨハネ3章16節)ことにあり、それがイエス・キリストの十字架の死と復活を通して現実の出来事になったのです(ローマ3章23〜24節)。

ですから、「罪」は「赦される罪」と「赦されない罪」に分けることはできず、すべての罪が神のさばきの対象であること、しかしイエス・キリストの十字架による贖いは、どのような罪であっても赦されること(Iヨハネ1章7節)を、聖書は重要なこととして教えているのです。

〈「赦さない罪」が意味していること〉
では、「赦されない罪」とは、具体的に何を意味しているのでしょうか。一言で言えば、それは、神の真理に対して故意に心を閉ざす状態のことです。イエス様に「聖霊に逆らう冒涜は赦されません」(31節)と言われたパリサイ人は、まさにこのような状態にあったのです。

彼らは神の御言葉を自分たちの都合に合わせて解釈し、人々に教えていただけでなく、神が世に遣わされた救い主であるイエス様を意図的に拒み、逆らい続けました。この事実は、イエス様の御わざを「ベルゼブル」の力と結びつけたことにおいても明らかです。人がこのような状態に陥るならば、悔い改めそのものが不可能になります。そして悔い改めが出来なければ、罪の赦しを受ける可能性を自ら遮断してしまうことになるのです。なぜなら悔い改めのみが罪の赦しを得る唯一の手段だからです。

神の真理を人々に示し、悔い改めを促す働きを担う「聖霊に逆らう」ことは、神の側ではすでにすべての罪を赦す用意をしてくださっているにも関わらず、人間の側で自らの赦しの機会を放棄してしまうことを表しているのです。ですから、「聖霊に逆らう罪」は、「赦されない罪」となるのです。

さて、私たちは「聖霊に逆らう罪」を犯してないと言えないでしょうか。罪を悔い改める必要性を御言葉によって示されているのに、それを意図的に拒んでいるならば私たちもまた「赦されない罪」を犯していることになるのです。主の寛容と憐れみを軽んじることなく、厳しく自らを顧みる者でありたいと思います。

 
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