検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
HOME > メッセージ > メッセージ バックナンバー(2010年) > 預言されていたメシヤの全貌
  預言されていたメシヤの全貌  

2010年3月21日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書12章15〜21節

[15]イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、 [16]そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。 [17]これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。 [18]「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。 [19]争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。 [20]彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。 [21]異邦人は彼の名に望みをかける。」

説教要旨

安息日論争を経てますますイエス様に対する敵意を強めたパリサイ人は、いよいよイエス様を殺害する計画を立て始めました(14節)。そのような状況にあっても柔和な態度で宣教活動を続けられるイエス様。本日の箇所で、著者マタイは、その姿はまさに、イザヤ書で預言されていたメシヤであると証言しています。

〈パリサイ人による殺害計画を知った後のイエス様の行動〉
ご自身に危機が迫っていることを知られたイエス様は、パリサイ人をさらに刺激して無用な衝突が起こるのを避けるために「立ち去られ」ました。ところが、そこでも「多くの人々がついて来たので、彼らをみないやし、そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた」(15節b、16節)のです。ご自分のことだけを考えると、人々から退きたい時であったと思います。しかし、そのような状況にあってもイエス様は、救い主として他の人々の必要を優先させたのです。さらに、ご自分のことを宣伝しないよう人々を戒められました。普通に考えると、ご自分についての良い評判は好ましいはずです。

しかし、イエス様はご自身のことで人々が騒ぎ立てることを願われなかったのです。このような柔和さと自制心に富む宣教活動をされるイエス様の姿は、当時のユダヤ人の思い描いていたメシヤと比べて、あまりにかけ離れたものでありました。なぜなら、当時の人々は、政治的・軍事的なメシヤを期待していたからです。しかし、マタイは、このイエス様を、旧約聖書で約束されたメシヤと関連づけ、「これは預言者イザヤを通して言われたことが成就するためであった」(17節)と証言したのです。

〈預言されていたメシヤの全貌〉
マタイはここで、イザヤ書42章1〜4節の「しもべの歌」を引用して真のメシヤの全貌を明らかにしています。

(1)メシヤは神のしもべである。「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ・・・」(18節)。イエス様は神から遣わされて、その御心に従って、ご自身の使命を果たしておられました。パリサイ人の多くは、イエス様が律法を無視して、神を冒涜していると考えていたわけですが、それは大変な誤りだったのです。

(2)メシヤは平和な方法で使命を全うする。「争うこともなく、叫ぶこともせず・・・」(19節)。当時の人々が、武力による政治的な解放をメシヤに期待していたのとはまるで正反対の方法です。

(3)メシヤは弱い者を生かし、用いられる。「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない・・・」(20節)。真のメシヤは、「いたんだ葦」、「くすぶる燈心」が意味しているような、社会の中で蔑まれ、疎外されているような人を軽蔑したりせず、理解をもって接し、むしろそのような人を神の器として用いられるお方なのです。

(4)メシヤは全世界の希望を担う。「異邦人は彼の名に望みをかける」(21節)。当時のユダヤ人には、自分たちの民族だけを救うメシヤ理解がありましたが、真のメシヤは、特定の民族のメシヤではなく、全世界の人々のメシヤであり、希望を与える存在なのです。

〈まとめ〉
私たちも時としてパリサイ人と同様に、自分勝手なメシヤを期待して、イエス様に対する不満を持ってしまうことがありますが、愛と柔和さで私たちをご支配くださる真のメシヤに期待し、心から従う者でありたいと思います。

 
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.