検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
  パリサイ人たちの拒絶  

2010年1月31日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書12章1〜8節

[1]そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。 [2]すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」 [3]しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。 [4]神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。 [5]また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことはないのですか。 [6]あなたがたに言いますが、ここに宮より大きな者がいるのです。 [7]『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。 [8]人の子は安息日の主です。」

説教要旨

マタイ福音書12章。この章は11章と同様に、イエス様に対する人々(特にパリサイ人)の拒絶が募っていく様子が記録されています。本日の箇所では、安息日における弟子たちの行動を非難するパリサイ人と、それに答えるイエス様のやりとりが描写されています。

〈パリサイ人たちによる非難〉
ここでの論点は、安息日に麦の「穂をもんで食べる」という行為が律法違反であるかどうかにあります。当時のユダヤ人は、律法(出エジプト20章8〜11節)を厳守しようとする余り、安息日にしてはならない39の労働を規則に加えていました。例)「種蒔き」「耕作」「火を消す」「火をつける」など。

このような規則を根拠にパリサイ人は、イエス様の弟子たちのした「穂を摘む」という行為が労働に該当するとして非難したのです。「すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。『ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはらないことをしています。』」(2節)このような彼らの非難は、当時の人々の感覚では当然のことでありました。

〈イエス様の答え〉
このパリサイ人たちの非難に対して、イエス様は旧約聖書における三つの事柄を引用して、ご自分の行動が御言葉に基づくものであることを実証されたのです。

(1)まずイエス様はIサムエル21章1〜6節(サウル王に追われたダビデとその連れの者たちが、祭司だけが食べることを許されている「供えのパン」を食べた出来事)を引用することによって、ご自分たちの行動には聖書的根拠があることを証言し、(2)次に、安息日に宮で儀式に携わる祭司たちの例を引用することによって、ご自分たちの行動が御言葉の優先順位をわきまえたものであることを論証されました。・・・安息日であっても祭司は、神殿で仕事をしていた。それは、神への礼拝が最優先であり、安息日の規定は、その次に位置していたから。この事実は、「宮よりも大きい者」(6節)であるイエス様に仕える弟子たちにも当てはまることであった。

(3)最後に、イエス様はホセア書6章6節の御言葉を引用することによって、ご自分たちの行動が神の御心の真意を汲み取る行動であった事実を示されたのです。パリサイ人たちは、律法を行なう熱心さを備えていたものの、その精神である「他者への憐れみ」は身につけていなかったのです。だから、「罪のない」弟子たちの行為を有罪として「罪に定めて」してしまうという過ちを犯してしまったのです。

この箇所においてイエス様は、実はパリサイ人たちこそが本当の意味で聖書を読み、理解していなかった事実を、「読まなかったのですか」(3節)、「律法で読んだことはないのですか」(5節)と2度も指摘されました。ここから私たちは、御言葉に根ざして生きるとは、その意図を正確に読み取り、現実の生活の中で正しく実践していくことであることを再認識するのです。「まことに、主のことばは正しく、そのわざはことごとく真実である。」(詩篇33篇4節)

 
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.