2010年1月3日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:創世記18章22〜33節 |
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[22]その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。 [23]アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。 [24]もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。 [25]正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」 [26]主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」 [27]アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。 [28]もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」 [29]そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」 [30]また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」 [31]彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」 [32]彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」 [33]主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。 |
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説教要旨 |
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信仰の父と称されたアブラハム。本日の箇所で、彼は審きを宣告されたソドムとゴモラの救いのために熱心な執り成しをしています。愛をもって人を執り成すことの素晴らしさを思い巡らしつつ、その特徴を見ていきましょう。 〈差し迫っていたソドムとゴモラへの審き〉 〈執り成す者の登場〉 〈人間の赦しをめぐっての値切り交渉〉 第一に、己自身の利得のためではない交渉であったこと。ここで彼が赦しを訴えている対象は、己の欲望のおもむくままに快楽を得て、神に逆らっていた町々です。そのことを覚えるとき、彼の執り成しの純粋さに心打たれます。アブラハムは、自分さえ安全なら他人はどうあっても良い、という利己主義者ではなく、他の人々の救いを願い求めることのできる愛の人であったのです。 第二に、謙虚で丁重であること。彼は神に対して、「わたしはちりや灰にすぎませんが」(27節)と、あくまで丁重な姿勢を崩さないで交渉を進めています。彼は一貫して自分の分をわきまえ、謙虚に主にお願いをし、なんとか主の怒りを和らげようとしているのです。 第三に、神の友としての特権を大胆に行使したこと。彼の執り成しは最初の二回は「50人」から「45人」、「40人」と五人ずつ小刻みなものでした。ところが3度目からは、「30人」、「20人」、「10人」と、大胆にも十人引きを試みたのです。ここにアブラハムの豪胆さ、聖なる図々しさが現れています。人のいのちがかかっているからこそ、執り成す者は消極的であってはならないのです。 〈主の答え〉 私たちはこのアブラハムの子孫として、彼の執り成しを模範にしようではありませんか。主は私たちが人を執り成すことを待っておられるお方なのですから。 |
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