検見川聖書バプテスト教会
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  耳のある者は聞きなさい  

2009年11月29日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書11章7〜15節

[7]この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。 [8]でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。 [9]でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。 [10]この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。 [11]まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。 [12]バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。 [13]ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。 [14]あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。 [15]耳のある者は聞きなさい。

説教要旨

本日の主題は「聞く」ことです。私たちが聖書の御言葉を通して示されている神の御心を正しく理解するために「聞く」という態度が非常に重要であることを、本日の箇所でイエス様は教えておられます。

〈人の話しを聞くことの難しさ〉
私たち人間にとって「聞く」ことは、「話す」ことと並んで、他者との関係を築く上で基本的なコミュニケーションの手段です。ところが「聞く」ことが、案外と難しいことを私たちは日々の生活の中で実感しているのではないでしょうか。時間的、精神的にゆとりがない時、物事に対する先入観や思い込みがあったり、自分の言いたいことで頭が一杯な時など、人の話に素直に耳を傾けることができない状況が多々あるからです。

この「聞く」ことができないという現実は、私たちの身近な人との人間関係に少なからず影響を及ぼします。確かに聞いたはずなのに、相手の話を覚えていない場合は、いい加減な人と思われてしまいます。また、相手の話を自分に都合の良いように理解してしまう場合は、話の通じない人だと誤解されてしまうのです。私たちは、相手の話を聞けなかったせいで、他者とのギクシャクした関係、互いに理解し合えない関係に悩むことを経験するのです。こう考えていくと、「いかに人の話を聞くか」が、私たちにとって大きな課題であるかを痛感するのです。

〈神のことばを聞くことの難しさ〉
さて、本日の箇所は、神のことばを聞けない人々に対してイエス様が「聞く」ことの大切さを説いておられます。ここでは、当時のイスラエルの人々が、神のことばを正しく聞くことができたなら、バプテスマのヨハネこそ、メシヤの道備えをすると預言された「エリヤの霊と力」(ルカ1章17節)を持つ人であると理解できるのという趣旨のことが語られています。「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。」(14節)と教えられているとおりです。

マラキ書において、「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。」(3章1節)との預言は、まさしくバプテスマのヨハネのことだったのです。しかし、当時の人々は聖書から神の語りかけを正しく聞くことをせず、また聞いても理解しようとしなかったのです。まさに「目があっても盲目の民、耳があっても耳しいた者たち」(イザヤ43章8節)です。

それゆえ、メシヤであるイエス様がこの世に来ていたにも関わらず、その事実に全く気付かなかったのです。そのような人々に対して、イエス様は「耳のある者は聞きなさい」(15節)とおっしゃられました。イエス様が語られたことには、確かにわかりにくい点もありました。しかし「進んで受け入れる」心を持っている人には必ず理解できるものなのです。

御言葉を通して語られる主の御声に対して、私たちが柔らかな心をもって、「聞く」ことの大切さを覚えさせられます。「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10章17節)

 
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