2009年11月15日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書11章2〜6節 |
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[2]さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、 [3]イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべできでしょうか。 [4]イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。 [5]盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。 [6]だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」 |
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説教要旨 |
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私たちはキリスト者として生きる中で、神様に期待することと実際に直面する現実との間にギャップを覚えることがあります。そのような時、私たちの心は戸惑い、信仰の確信が揺らぎ始めるのです。自分が信じてきたことは正しかったのか、主は真実な方なのか、思い悩みつつ、神に問いかけるのです。本日の箇所で著者マタイは、イエス様の先駆者として活動していたバプテスマのヨハネの心がイエス様に対する期待と現実の狭間で揺れ動いていた事実を明らかにしています。 〈バプテスマのヨハネとは〉 そのような彼の働きは、イエス様ご自身も大いに認めておられました(マタイ3章13〜17節)。以上のことから、当時イエス様を知っていた人の中で、誰よりも強くイエス様がメシヤ(キリスト)であることを確信して、人々に伝える働きをした人が、バプテスマのヨハネだったのです。 〈バプテスマのヨハネの躓きとその理由〉 その理由は、彼がこれまで人々に紹介してきた「おいでになるはずの方」と、「獄中」で自分の弟子たちから伝え聞いたイエス様の言動が一致しない点にあったのです。彼が人々に紹介していたのは、「その方は・・・手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3章11〜12節)との証言通り、神に背く人々に厳しいさばきを執行するメシヤでした。 ところが、ヨハネが伝え聞いたイエス様の姿は、弱っている者を助け、病人を癒す活動に終始しているように見えたのです。自分がこの方を“来るべき方”として信じてきたことは本当に正しいことだったのか、そのような疑問がヨハネの心中に膨らんできて、上述の問いをイエス様に伝えたのです。このようなヨハネの心境は私たちも身に覚えがないでしょうか。 最後に共に覚えましょう。私たちも主に期待することと、現実のギャップに悩む時、聖書の御言葉が成就することを忘れないようにしようではありませんか。先入観や自分中心の期待を捨て、主の御心と御わざが成ることが最善と信じ、忍耐を持って主への絶対的信頼をさらに深めていく者になりましょう。 「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」(6節) |
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