検見川聖書バプテスト教会
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  派遣説教(5)−主の大使として  

2009年11月8日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書10章40〜42節

[40]あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 [41]預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。 [42]わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。

説教要旨

本日の箇所で、イエス様から弟子たちに語られた「派遣説教」は最後となります。これまでの4回の副題は「派遣される者の心得」「迫害に備える」「人を恐れない」「自分の十字架を負って従う」でした。本日は「主の大使として」です。この箇所を通して、イエス様は主の弟子とされた者たちが、極めて特別な立場で伝道の現場に遣わされて行くことを教えておられます。

〈大使という職務〉
私たちが暮らす社会には、様々な○○大使と呼ばれる人がいます。駐日アメリカ大使、親善大使、観光大使、ふるさと大使など。これらの大使に共通する特徴は、特別に選ばれ、任命され、派遣される点にあります。そして、大使とされた人はどこに行っても、自分を派遣した団体(人・国)の代理として職務を行なうのです。一般的に言って、この大使という職務は、責任は重いが、大変栄誉ある仕事と認識されているのではないでしょうか。

〈主の大使とされた弟子たち〉
さて、上記のことを踏まえて、本日の箇所を見るとき、イエス様の語られたことの意図を正確に読みとることができます。

第一に、「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」(40節)とあるように、派遣される弟子たちは、神の代理としての立場であるということ。直接的には、弟子たちを主から遣わされた大使として認め、歓迎し、働きの場を提供すること、物質的・経済的な面でサポートすることを表します。このことが、主であり救い主である「わたしを受け入れる」こと、さらに万物の支配者である「わたしを遣わした方を受け入れる」ことに直結するとイエス様は明言されているのです。

第二に、「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら・・・その人は決して報いに漏れることはありません。」(42節)とあるように、大使として派遣された弟子たちを受け入れる者には、主からの報いが与えられるということ。「この小さい者たち」とは、主の弟子を指し、経験も能力も乏しく、人の目に留まらないような存在を表しています。そのような弟子に、平凡にしか見えない「一杯の水を飲ませる」という親切を、神は天の御座からしっかりと見て覚えておられ、その人に対しては、それ相応の報いが与えるという約束がここで語られているのです(参照マタイ25章35〜36節、40節)。

今日の箇所を通して、主は、私たちの務めが主の大使という特別な立場で成されることを深く心に自覚するよう勧めておられます。私たちは主に選ばれ任命された特別な大使です。それぞれが遣わされた場にあって、その人にしか出来ない使命と責任があるのです。その私たちを受け入れる人は、キリストと父なる神を受け入れることに直結し、必ず報いが与えられるという事実を忘れずに、各々に委ねられた務めを忠実に果たしていきたいと思います。

『このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。』ローマ人14章18節

 
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