2009年9月20日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書10章16〜23節 |
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[16]いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。 [17]人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。 [18]また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。 [19]人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。 [20]というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 [21]兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。 [22]また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。 [23]彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。 |
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説教要旨 |
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「派遣の説教」の第二区分においてイエス様は、派遣されていく者の人生には迫害という苦難が必ず伴うということを予告しつつ、そのためにどのように備えるべきかを教えておられます。 〈派遣される者はあらゆる方面からの迫害に直面する〉 〈迫害にどう備えるか〉 第一に、「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(16節)とあるように、賢さと素直さを身につけることです。主の働きは、何も考えずに、やみくもに行動すれば良いのではありません。また、疑り深く警戒心が強いのも駄目です。弟子とされたものは、状況を見極める判断力、危険を察知する能力、性格的な素直さ、単純さというものを身につけなければならないのです。 第二に、「それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。」(18節)とあるように、積極的な証しの機会と捉えることです。主を証しすることの中には、迫害を通してでなければ出来ないことがあるのです。使徒の働きには、その例が各所に見出されます(4章、21章から26章など)。 第三に、いざとなったら安全確保を最優先にする(逃げる)ということです。22節の後半でイエス様は最後まで忍耐を働かせるように命じました。しかし、それは身の危険を冒してまで、そこに留まるようにという意味ではありません。身の危険を感じたら、安全確保を最優先させていいとイエス様は言っておられるのです。主の働き人が逃げるなんて情けないと考える人がいます。しかし、私たちクリスチャンが、いのちを大事にしないことは主の御心ではないのです。状況に応じて、勇気ある信仰の逃亡が最善であることを覚えなければなりません。 以上、三つの点において、私たち自身もイエス様が予告されている迫害に対して、必要な備えをする者でありたいと思います。最後に、アメリカの伝道者グレッグ・ローリーのことばに耳を傾けましょう。『これまで教会は、福音を安っぽく人々に伝えてこなかっただろうか。信仰をもてば幸せになれるといったことだけの福音を伝えてこなかっただろうか。しかし、福音とはそのようなものではない。イエス・キリストを救い主と信じ、そのお方に従っていくとき、そこには苦難も迫害もあるのだ。それが福音ではなかろうか』 |
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