検見川聖書バプテスト教会
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  上に立つ権威に従う  

2009年8月30日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ローマ人への手紙13章1〜7節

[1]人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。 [2]したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。 [3]支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。 [4]それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。 [5]ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。 [6]同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。 [7]あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。

説教要旨

本日は伝道者パウロが、当時のローマ帝国の首都であるローマに住むクリスチャンたちに対して、「上に立つ権威に従う」ことを勧めている箇所です。要点は、(1)「上に立つ権威に従うことの難しさ」、(2)「上に立つ権威に従う必要性」です。

<上に立つ権威に従うことの難しさ>
当時のクリスチャンには、「上に立つ権威に従う」ことが難しい三つの理由がありました。

第一は、当時のクリスチャンの多くはユダヤ人であって、ローマ帝国は祖国ユダヤを支配する敵であったということ。殆どのユダヤ人の願いは、ローマ帝国の支配を打ち倒し、ユダヤが政治的に独立することであったのです(使徒1:6参照)。ですから彼らにとって、「上に立つ権威」とは、反発の対象でしかなかったと言えるのです。

第二に、キリスト教の創始者であるイエス・キリストが十字架で死んだのは、ローマの法廷で裁かれ、ローマの法律に従って処刑されたということ。そこには、決して見逃すことができないローマ側の不正義があったのです。

第三に、当時のクリスチャンたちがローマ帝国の秩序を乱す働きをしているとローマの側から受け止められていたということ。そこにはキリスト教に対する誤解と偏見があったのです。

以上、「上に立つ権威に従う」ことが出来ない理由としては十分すぎるものだと思えます。

<上に立つ権威に従う必要性>
しかし、どのような状況、思いがあったにせよ、「上に立つ権威」に従わなくて良い理由にはなりません。パウロは、世に生きるキリスト者たちへの勧めとして、ローマ書の13章でこの問題を取り上げたのです。パウロがここで明らかにしている真理は、「上に立つ権威に従う」ことは、神の御心と対立することではなく、「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられた」(1節)という事実です。

ローマ教会のクリスチャンにとっての「上に立つ権威」は、神様のみこころを妨げる存在として捉えられていたと思われます。救い主であるイエス・キリストを殺し、クリスチャンたちの働きを妨げる邪魔な存在であると。しかし、パウロは、「上に立つ権威」は神の許しの中で存在し、神のご計画と秩序の中にしっかりと位置づけられていると証言したのです。ですから、「上に立つ権威」者たちが、神が与えられた権威の範囲内で服従を求めるなら、キリスト者は従わなければならないのです。

そのために彼らは、「剣を帯びて」いるとまでパウロは言います。この「剣」とは、不正を罰し、善を守り、服従させるためのもので、現代の警察などがその代表と言えるでしょう。パウロは、その剣は、「悪を行なう人には怒りをもって報い」ると警告を与えています。これらの理由から、ローマ教会のクリスチャンは、「上に立つ権威」に従う必要性を覚えなければならなかったのです。最後に、7節でパウロは、「あなたがたは誰にでも義務を果たしなさい。」とこの箇所全体をまとめています。

私たちも、神の許しの中で存在している「上に立つ権威」を認め、また祈り、主体的に従う者でありたいと思います。テトス3:1、Tテモテ2:1〜3

 
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