2009年8月23日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書10章1〜4節 |
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[1]イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。 [2]さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 [3]ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、 [4]熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。 |
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説教要旨 |
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私たちが暮らす人間社会は、能力に秀でた人たちによって構成される集団(チーム)が存在します。その一例としては、WBCで優勝した野球の日本代表のチームです。このチームのように、個々の力が優れているならば、チーム全体も大きな力を発揮するということ、このことは私たちの社会では常識であると思います。 一方で、イエス・キリストが自ら選ばれ、作られる集団はどのようなものなのでしょうか。本日は、12使徒の任命の箇所から、イエス様がこの地上に作られる使徒団に選出された人々の特徴について、共に見ていきたいと思います。 <極めて平凡な人々によって構成される集団であった> 最初に記載されている「ペテロ」「アンデレ」「ヤコブ」「ヨハネ」は、無学で普通の人と見なされていたガリラヤ湖の漁師です(参照 使徒4:13)。また、「マタイ」は収税人ですから当時最も軽蔑されていた仕事をしていましたし、ペテロではない「シモン」は「熱心党員」で、過激派のような働きをしていた危険人物です。しかも、「イスカリオテ・ユダ」以外は、皆ガリラヤ地方(田舎であり、立派な人が出てくるとは誰からも期待されていない場所)の出身であったことも、彼らの平凡さを物語っています(ヨハネ7:41、52)。 <性格が多種多様であった> <チームワークを乱す要素が含まれている集団であった> さて、以上三つの点を見てまいりましたが、イエス様はどのような意図でこの12人を選ばれたのでしょうか。その答えとして言えることは、イエス様の意図は、この世のものさしでは測ることが出来ない集団を作ろうとされたということです。すなわち、その資質や人格的な足りなさによらず、異なる主義主張によらない、頭であるキリストによってのみ結びつき、一致を保って働く集団なのです。 |
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