検見川聖書バプテスト教会
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  あなたはどこに行くのか  

2009年8月16日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:創世記16章7〜15節

[7]主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、 [8]「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」 [9]そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」 [10]また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」 [11]さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。 [12]彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」 [13]そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ。」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは。」と彼女が言ったからである。 [14]それゆえ、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデシュとベレデの間にある。 [15]ハガルは、アブラムに男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名づけた。

説教要旨

ある場所にいるのがとても辛く思えて、どこかに逃げ出したくなることがあります。本日はサライの女奴隷ハガルが逃亡した箇所から、逃げ出すハガルに神がどのように関わってくださったのか見ていきたいと思います。

<被害者的な悲劇を経験したハガル>
ハガルには二つの悲劇がありました。一つ目は、奴隷として主人であるアブラハムの子をみごもらされたこと。そこには自分の意思は関係なく、人間扱いされないという悲しみがあったと思われます。二つ目は、妊娠後に女主人サライからいじめを受けたとき、お腹の子の父親であるアブラハムが自分を擁護してくれなかったこと(6節)。「何で自分だけこんなひどい目に合わなければならないのか」という辛さがあったはずです。このような悲劇を経験したハガルは、とても辛く思えるこの嫌な状況から脱するために、逃げ去るという行動を起こしたのです(6節b)。

<逃げるハガルに関わる神>
アブラハムの家を逃げ出して一人孤独な旅を続けるハガルを神は見放されませんでした。「シェルへの道のほとり」(7節)で彼女を見つけた主の使いは、「あなたはどこから来て、どこに行くのか。」(8節b)という問いかけをしたのです。この問いかけは、ハガルに対して彼女自身の過去(アブラハムの家を出たこと)と未来(これからどうするのか)について尋ねるものです。

問いかけの意図としては、「あなたがアブラハムの家を出たのには、無理もない理由があったにせよ、それは正しい行動だろうか、それで万事が解決するだろうか」、という彼女自身の問題と正面から向き合うことにあったと思われます。思い切って自分の人生をリセットしようとしていたハガルにとっては、一番言われたくないことばであったかもしれません。

<どこにいくか答えられないハガル>
この問いかけに対してハガルは、「私の女主人のところから逃げているところです。」(8節b)と、過去の事柄についてのみ答えています。なぜ、彼女はこれから(将来)のことを答えられなかったのでしょうか。それは、ハガルの行動の動機が、「女主人のもとから・・・逃げている」とのことば通り、ただ苦しみから逃れたい一心であったからなのです。理由が何であれ、このハガルの行動は、極めて衝動的(感情的)な行動であったのです。

<ハガルのこれからに関する指示>
9節9節では、自分の人生を見失い、これからどうすれば良いかわからなくなっていたハガルが次に取るべき行動について指示をされています。「あなたの女主人のもとに帰りなさい」(9節)「女主人のもと」とは、自分が逃げ出した場所、人生に挫折した場所、苦い思い出が残っている場所のことです。ハガルにとっては、最も行きたくない場所であったはずです。しかも、「彼女のもとで身を低くしなさい。」との指示も続きます。前に取れなかった謙虚な態度を女主人サライに対して取ることは難しいことであったと思います。しかし、これらの指示を通して主の使いは、ハガルの“これから”のためには、自分が向き合いたくない過去と向き合う必要があることをはっきりさせたのです。

<ハガルのその後>
聞きたくない指示を言われてハガルは、どのような態度をとったのでしょうか。なお抵抗して逃げようとしたのでしょうか。そうではありません。彼女はこの時、私を一人の人間として尊重し、積極的に関わってくださる神の恵みを体験したことに気づいたのでした。驚くことにハガルは、「自分に語りかけられた主の名を『あなたはエル・ロイ(ご覧になる神)』(13節)と呼び、「ご覧になる方のうしろを私が見てなおもここにいるとは」と神との出会いを告白したのです。

被害者的な悲劇を経験し、人生を見失いかけた奴隷の私の「苦しみ」を神は知っていてくださるという大きな驚きを覚えたのでした。そして、彼女は、逃げ出した時とは違って、一個のレッキとした“神を体験した者”“神からの約束を受けた者”として、戻りたくないはずの道を引き返したのです。15節の「ハガルは、アブラムに男の子を産んだ」とは、ハガルが主の使いのことば通りの行動をとったことを示しています。

<本日の出来事から私たちが覚えるべきこと>
(1)私たちは人生を歩むなかで、その場から逃げ出したくなることがありますが、そのような時こそ自らの気持ちを整理することが必要です。誰でも理不尽な目にあった時とか、人から傷つけられるようなことばを言われたとき、自分の苦手なことをしなければいけない時、あるいはその場に留まることが自分の不利につながると思えた時などに、そのような思いを持つことがあります。しかし、そのような思いは、人間の素直な感情です。ですから、その感情そのものを無理に否定してはいけないのです。

(2)だからと言って、ハガルになってはいけません。それは、単にまわりに迷惑をかけるという理由だけでなく、自分自身がこの先「どこに行けば」良いのかを見失ってしまうことになるからです。それは、物理的な場所という意味ではなく、人生の目標という意味です。人生をリセットすることは簡単です。確かに、その場から逃げ出せば、一時的に苦しみから解放されるでしょう。しかし、そのような衝動的な行動は、私たち自身の“これから”のためには決してならないのです。

(3)「あなたはどこに行くのか」と心配し、関わってくださる神との出会いを体験する。ハガルが直面した状況は、確かに人間の側では信仰が吹き飛んでしまうような状況です。しかし、神様の目から見てそうではないことを覚える必要があります。決して、意味のないこととして捉えるのではなく、むしろ、神様との生きた関わりを持てる貴重な機会とするべきなのです。生きて働いてくださる神様、苦しみをすべてご存知でいてくださる神様の恵みを体験できるとは私たち信仰者にとって、何と素晴らしい特権ではないでしょうか。

 
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