2009年7月12日(日) 礼拝説教要旨 |
|||
聖書箇所:マタイの福音書9章32〜34節 |
|||
[32]この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれたおしが、みもとに連れて来られた。 [33]悪霊が追い出されると、そのおしはものを言った。群集は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない。」と言った。 [34]しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言った。 |
|||
説教要旨 |
|||
8、9章には、イエス様の権威に基づく10の奇跡が記されていますが、本日はその最後となります。この箇所において、イエス様のなされた奇跡に対する対照的な二つの反応があったことを著者は記しています。 <おしを回復させるイエス様> しかし、この箇所で著者マタイはこの「おし」が抱えていた上記の苦しみには一切触れず、だた「おし」となった原因が「悪霊につかれた」ことによるものであったと証言しています。この「おし」が抱えていた問題をイエス様は、悪霊を追い出すという方法によって解決されたのです(33節)。ガダラ人の地での悪霊つきの癒し(8章28〜34節)と同様の奇跡がここでも行なわれたのです。この「おし」が確かに回復したことは、「そのおしはものを言った」(33節)ことばから確認できます。 <奇跡に対する反応(1) − 驚く群衆> <奇跡に対する反応(2) − 非難するパリサイ人たち> なぜ、彼らはこのような偏った見方をしてしまったのでしょうか。その理由は、彼らの心の目が真理に対して閉じられていたからだと言えます。彼らの心は、救い主にしか出来ないはずの特別な奇跡をその目で見ても、受け入れることができないほどに頑なであったのです。 最後に考えてみましょう。私たち自身の耳は神のことばに対して開かれているでしょうか。預言者エレミヤのことばが私たち自身に当てはまらないことを願います。「見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ、主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。彼らはそれを喜ばない。」(エレミヤ書6章10節) |
|||
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved. |