2009年5月10日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:ルカの福音書23章13〜25節 |
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[13]ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、 [14]こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。 [15]ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。 [16]だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」 [18]しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」 [19]バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢にはいっていた者である。 [20]ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。 [21]しかし、彼らは叫び続けて、「十字架だ。十字架につけろ。」と言った。 [22]しかしピラトは三度目に彼らにこう言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。[23]ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。 [24]ピラトは、彼らの要求どおりにすることを宣告した。 [25]すなわち、暴動と人殺しのかどで牢にはいっていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。 |
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説教要旨 |
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本日の箇所はイエス様に対するローマ側の最後の裁判です。ガリラヤの国主であるヘロデから送り返されたイエス様が、再びピラトのもとで裁判を受ける場面。ここでは、どのような経緯でイエス様の十字架刑が確定したのか、そこに異なる二つの判断があったことを著者ルカは記しています。 <総督ピラトの判断> <ユダヤの人々(祭司長、指導者、民衆)の判断> <その声が勝った> 最後に、本日の箇所から私たちが汲み取るべき真理について考えてみましょう。それは、この裁判において本当の意味で勝利を収めたのは、ユダヤの人々の声ではなく、神の声であるということです。ユダヤ人たちの判断が勝利を収めた状況の中で、実際には神の救いのご計画が最終段階に入ったという事実をここに見出すことができます。人類を罪と死の滅びから救うための神の救いの計画が、このような形で表されるとは、この時イエス様以外には誰も気付いてなかったのです。 |
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