検見川聖書バプテスト教会
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  人にさばかれる神(1)  

2009年4月19日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルカの福音書22章63〜71節

[63]さて、イエスの監視人どもは、イエスをからかい、むちでたたいだ。 [64]そして目隠しをして、「言い当ててみろ。今たたいたのはだれか。」と聞いたりした。 [65]また、そのほかさまざまな悪口をイエスに浴びせた。 [66]夜が明けると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、集まった。彼らはイエスを議会に連れ出し、 [67]こう言った。「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」しかしイエスは言われた。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょうし、 [68]わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう。 [69]しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」 [70]彼らはみなで言った。「ではあなたは神の子ですか。」すると、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」と言われた。 [71]すると彼らは「これでもまだ証人が必要でしょうか。私たち自身が彼の口から直接それを聞いたのだから。」と言った。

説教要旨

福音書を読み比べる時、イエス様が十字架に架けられる前夜、6回の裁判(取り調べ)を受けられた事実を確認できます。ユダヤ側によるものが3回とローマ側によるものが3回です。本日の箇所は、ルカ福音書のみが詳細に記しているユダヤ議会(サンヘドリン)における裁判です。ここにおいて、著者ルカは、人に裁かれるイエス様の姿を記しています。

<肉体的・精神的な苦痛を受ける>
まず、63〜65節においてイエス様が「監視人ども」から屈辱的な取り扱いを受けている様子が描写されています。その取り扱いとは、「からかい」「むち打ち」「目隠し」「悪口」(他の福音書では「こぶしで殴る」「つばきをかける」もある)です。自分たちの目の前にイエス・キリストが立っていても、信仰のない者にはそれがわからないので、このような驚くべき不敬を平気でしてしまうのです。この場面でのイエス様は、イザヤが預言したとおり「打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった」(イザヤ50章6節)と、無抵抗な態度を貫かれています。

<人々の悪意のただ中に立つ>
上記のような屈辱と暴行を受けた後、ユダヤ議会における裁判が始まりました。そこには、国中の権力者・指導者である、サンヘドリンの議員(70人)が勢揃いしていたのです。この議員たちは、中立的な立場で裁判をするつもりは毛頭なく、邪魔者であるイエス様を死刑にすることを目的としてこの場に臨んでいたのです。「祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。」(マタイ26章59節)とあるとおりです。針の寧(はりのむしろ)とは、まさにこのことだと思います。

<自らに不利な証言をする>
この裁判の中で議員たちは二つの質問をイエス様に投げかけました。その質問とは、(1)「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい。」(67節)、(2)「ではあなたは神の子ですか。」(70節)です。これは明らかな誘導尋問だと言えます。この質問には、イエス様を死刑とするために、少しでも不利な証言を引き出そうする思惑が読みとれます。

このような質問に対して、イエス様は何と答えられたのでしょうか。驚くことに、裁判の被告としての黙秘権を行使することをせず、彼らの思惑に答える形で、ご自分が何者であるかをはっきりと証言されたのです。「あなたがいうとおりわたしはそれです。」(70節)ご自分に不利になることを承知の上で、イエス様はご自分が神であることを公に認められたのです。この証言の結果、議会がイエス様を死刑にするための他の証拠を必要としなくなったことは71節のことばから明らかです。

以上、イエス様(神)が人に裁かれる姿を見てきました。なぜ、イエス様はこのようなひどい仕打ちを我慢されたのでしょうか。私たちが、このことを思い巡らすとき、そこに私たち罪人を救おうとする神の愛と意志が見えてくるはずです。

 
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