2009年3月29日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書9章14〜17節 |
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[14]するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 [15]イエスは彼らに言われた。「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。しかし、花婿が取り去られる時が来ます。そのときには断食します。 [16]だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。 [17]また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。」 |
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説教要旨 |
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本日の箇所でイエス様は、ある人たちとの問答を通して、キリストの弟子とされた人の生活の特徴がどのようなものであるかを明らかにしています。 <特徴(1) 周囲の人々の間に摩擦が生じる> 「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのか」という問いが、イエス様と友好関係にあるバプテスマのヨハネの弟子たちから発せられたという事実が、イエス様や弟子たちの行動が当時の人々にとっては理解し難いものであったことを表しているのです。ここから教えられることは、キリストの弟子としての生活は、「あなたはなぜそうしないのか」とのことばに代表されるような、まわりの人に理解されない現実があること、そして時には摩擦が生じることもある、ということです。 <特徴(2) 花婿と共なる喜びがある> それゆえ、イエス様の喜びを共に味わい、その喜びによって生きる存在である弟子たちが断食することは、喜びの場にふさわしくない行為であるので、する必要がない、とイエス様は言われるのです。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15章11節)とあるとおり、キリストの弟子としての生活は、喜びの只中にいる人と共なる喜びに生きるという特徴を備えているのです。 <特徴(3) 古きを張り裂く活力がある> 以上のことから、キリストの弟子とされた人の生活には上記の特徴が備わっていることを私たちも覚えることができます。私たち自身も、この特徴を正しく認識し、この世にあって、キリストの弟子としてふさわしい生活を続けていく者でありたいと思います。 |
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