検見川聖書バプテスト教会
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  イエス様の弟子選び  

2009年3月15日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書9章9節

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

説教要旨

世界の中でたった12名しか選ばれなかったキリストの直弟子、その12名の中に、本福音書の著者マタイがいます。本日の箇所は、収税人であったマタイが、どのような経緯でイエス様の弟子となったかについて記されてあります。

<イエス様の弟子選び>
まず、マタイが伝えようとしているのは、イエス様の弟子選びには特筆すべき特徴があったということです。「イエスはそこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、『わたしについて来なさい』と言われた。」(9節a)

第一に、イエス様の弟子選びの主体は、選ばれる側にではなく、選ぶイエス様の側にあるということ。マタイが弟子とされたのは、イエス様の側で先にマタイに目を留め、弟子にしようと決めたことがここで示されています。参照:ヨハネ15章16節

第二に、イエス様の招きは、受ける側に選択の余地がない命令であったこと。イエス様は『これらかの歩みのすべてをわたしにかけ、わたしと行動を共にせよ』という意味で「わたしについて来なさい」とマタイに声をかけられたのです。

第三に、イエス様の弟子選びは、世の中の選考基準と正反対であったこと。イエス様が声をかけたのが「収税所にすわっているマタイ」であったことがその理由です。当時の社会において、収税人という職業についている人は、弟子として最も選ばれる可能性のない人であったのです。しかし、マタイはここで自分を「収税所にすわっているマタイという人」と紹介することで、世の中の選考基準とは異なる基準でイエス様が自分を選んでくださった事実を伝えようとしているのです。参照:Iコリ1章26〜29節

以上のことから、マタイがイエス様の弟子となったことは、イエス様の側の特別な選びと招き無しには有り得ないことだったのです。これは彼にとって特別な出来事であり、大きな喜び、忘れられない記憶であったに違いありません。

<マタイの応答>
次に、マタイが伝えようとしているのは、彼がイエス様の招きに即座に応答したということです。「すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」(9節b)マタイはイエス様の招きを受けた際、躊躇なく彼にとってかけがえのない居場所であるはずの「収税所」から離れる決心と、これからの生涯をイエス様の弟子としてささげる決心をしたのです。ここから、イエス様の側の主体的な招きに対して、マタイ自身も主体的に応答したことがわかります。彼のこの応答は、形式的なものではなく、弟子として選ばれたことが本当に嬉しく、また弟子として歩む人生に真実と希望を見出せたからこそ、「イエス様に従う」という大きな決心ができたのだと思います。

このマタイは、その後福音書を記すという特別な働きをしました。彼にとってイエス様の弟子としての歩みは、まさに「主の賜物(マタイという名の意味)」としての歩みだったのです。私たちもイエス様の弟子として召されていることを喜びつつ、主の弟子としての歩みをさらに確立していこうではありませんか。

 
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