検見川聖書バプテスト教会
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  主の弟子とされた者の幸い  

2009年2月8日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書8章23〜27節

[23]イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。 [24]すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。 [25]弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」 [26]イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。 [27]人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

説教要旨

本日の箇所から9章8節まで、イエス様の権威に基づく三つの奇蹟が記されています。ここにおいて著者マタイは、イエス様の権威が及ぶ領域には限界がないことを明らかにしています。最初は、ガリラヤ湖の嵐を静める奇跡です。

<弟子たちを襲った突然の危機>
並行記事のマルコ福音書によれば、時は夕方であったと記されています。イエス様の指示に従って舟を湖に漕ぎ出した弟子たちを待ち受けていたものは“突然の危機”でした(24節)。ルカ福音書では「突風が湖に吹き下ろして来た」(8章23節)と表現されているとおり、弟子たちにこの危機をもたらした原因はガリラヤ湖特有の暴風雨だったのです。彼らの中には漁師出身者(ペテロなど)もいましたが、漁師の専門的知識・熟練した経験が全く役に立たないほどに危機的な状況だったようです。この嵐は、ガリラヤ湖を生活の場としていた弟子たちにも死の恐怖を味わわせるほど強烈だったのです。

<信仰の危機も経験>
この時、弟子たちが嵐の中で懸命に漕いでいる舟は、イエス様の指示に従順に従った結果、湖に漕ぎ出したものでした。ところが、死の恐怖を味わう嵐に直面したばかりか、この時イエス様は、慌てふためく弟子たちをよそに平然と眠っていたのです。すぐさま弟子たちは、現実の危機とともに、イエス様をたたき起こして「主よ、助けてください。私たちはおぼれそうです。」と助けを求めました。マルコではもっと非難めいた口調で「何とも思われないのですか」(4章38節)と訴えています。このような状況の中で弟子たちは、師であるイエス様に対する信頼が大いに揺らぐという信仰の危機を迎えていたのです。

<権威者イエス様による奇蹟と弟子たちへの叱責>
弟子たちの心が大きく揺れ動いている中で、自然界をも支配されている主が起きあがりました。この方はすぐさま圧倒的な力を伴う権威を持って嵐を静められたのでした。この時、共におられるイエス様を信頼しなかった弟子たちは、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」と叱責されました。危機に際し弟子たちに足りなかったのは、勇気や決断力ではなく、権威者イエス様に対する信仰(信頼)だったのです。弟子たちは、今回の嵐を通して改めて自分たちと共にいて下さるイエス様がどのように偉大で、力に満ちたお方であるかを体験において知ったのでした。

本日の箇所を通して、(1)イエス様は自然界を叱りつけて服従させるほどの権威者であること、(2)キリストの弟子とされた者は、イエス様の特別な取り扱いの中で信仰の訓練を受ける機会を得ていることが示されています。この弟子たちを取り扱ってくださったイエス様は私たちをも同じように取り扱ってくださいます。人生の危機に際し、主が共におられる中で、信仰の訓練を受けるという「主の弟子とされた者の幸い」私たちも信仰を働かせつつ体験しようではありませんか。

 
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