検見川聖書バプテスト教会
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  主の弟子にふさわしい姿勢  

2009年1月25日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書8章18〜22節

[18]さて、イエスは群集が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。 [19]そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。 [20]すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」 [21]また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」 [22]ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

説教要旨

マタイ福音書8章と9章にはイエス様の権威を実証する10の奇蹟が記されていますが、その合間合間に弟子に関する三つの教えが挿入されています。本日は、その一つ目「イエス様に従う者に求められる姿勢」を共に見ていきましょう。

<ふたりの弟子志願者の申し出>
本日の箇所には二人の弟子志願者が登場します。最初の志願者は、「律法学者」です。この人は、「あなたのおいでになるところなら、どこにでもついてまいります」(19節)とイエス様に弟子として従う意志を表明しました。彼のこの申し出は、「どこにでもついてまいります」とあるとおり、自分の人生を全てイエス様に任せて歩むという大胆な決断だったのです。弟子の姿勢としては大変立派に思えます。普通は大歓迎するようなこの申し出に対して、イエス様は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(20節)と、冷たく突き放すような返事をしたのです。一見すると厳しく思えますが、ここから私たちは、イエス様の弟子として従う歩みは、自らが大きな犠牲を払う覚悟なしには始められないものであることを学ぶのです。

このようなイエス様の対応は、二人目の弟子志願者に対しても同様でした。二人目の人は、「別のもうひとりの弟子」と紹介されているとおり、イエス様に従っていた人ですが、さらに従うに当たって一つの条件を申し出たのです。彼の条件とは、「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください」(21節)とあるように、自分が家族に対して果たすべき義務を終えたら従う、ということでした。――この申し出は、彼の父親が死んだ直後ではなく、彼の年老いた親の面倒を見た後で従うという意味で理解すべき――聖書には、両親を敬うことが十戒で命じられているので、当然この弟子は「行きなさい。自分の責任を十分に果たし、それから従ってきなさい。」という答えが返ってくることを期待していたはずです。

しかし、イエス様の答えは違いました。「最優先すべき事を、あなたは見誤っている。まず、わたしに従いなさい」と絶対服従を求める命令をされたのです。イエス様はこの弟子に対して、この世におけるどのような事柄にもまさって、ご自身に従うことを優先するよう命じられたのです(参照:マタイ10章37〜38節、16章24節)。ここから私たちは、イエス様に従うことを何より優先することができなければ、弟子としての歩みは続けられないことを学ぶのです。

本日のイエス様のことばを私たちはどのように受け止めたら良いのでしょうか。言っていることはわかるが、とてもじゃないが従えないという思いで受け止めるでしょうか。そうではなく、イエス様が師として、弟子である私たちを真剣に育てようとしている意図を読み取る必要があるのです。イエス様は私たちを中途半端な信仰者にしないために、あえて厳しいことばを持って従う姿勢を正そうとされたのです。イエス様の私たちに対する思いの強さを覚えさせられます。

 
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