検見川聖書バプテスト教会
HOME教会案内メッセージギャラリーイベント全国の教会問い合わせ
HOME > メッセージ > メッセージ バックナンバー(2009年) > あなたの信じたとおりになるように
  あなたの信じたとおりになるように  

2009年1月11日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書8章5〜13節

[5]イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、 [6]言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」 [7]イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」 [8]しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。 [9]と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」 [10]イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがた告げます。わたしはイスラエルのうちだれにも、このような信仰を見たことがありません。」 [11]あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。 [12]しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」 [13]それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。

説教要旨

本日は、「イスラエルのうちのだれにも、このような信仰は見たことがありません」と、イエス様から大絶賛された百人隊長の信仰に焦点を当ててみたいと思います。百人隊長の信仰には三つの特徴がありました。

第一に、百人隊長の行動の動機は、神のみこころを第一とするものだったのです。何故そう言えるのかと言いますと、この百人隊長が病気を癒して欲しいと申し出た「しもべ」は、当時人間としての価値が認められていない奴隷であったからです。彼は自分のしもべが、「中風やみ(神経が麻痺して正常に機能しない病気)」でひどく苦しんでいることを心配してイエス様に願い出たわけですが、このような行動は、通常、主人が奴隷に対してとるものではなかったのです。いくら有能で役に立つしもべであったとしても、奴隷は所詮「口を聞く道具」でしかなかったのが当時の社会の常識でした。しかし、この百人隊長は「しもべ」を価値ある存在と見なし、このしもべが回復することを切に願ったのです。従って、この百人隊長が、神を恐れる人であり、その神のみこころに添って、隣人を見る人であったことがわかります。人が、自己中心的でなく、正しい物の見方に基づく純真な動機で行動するかどうかは、神から見て大切なポイントなのです。

第二に、百人隊長の信仰の姿勢は、イエス様に対して徹底的にへりくだるものでありました。7節を見ると百人隊長は、イエス様が「行って直してあげよう」と言われた申し出を丁重に辞退して、「私の屋根の下にあなたをお入れする資格はありません」と答えています。彼は、ユダヤ人にとっては支配者側に立つ異邦人であり、しかもローマ軍の高級将校である「百人隊長」であったにも関わらず、自らを卑しい者と認めて、イエス様の前に身を低くしたのです。当時のユダヤ人の価値観に立てば、異邦人がこのようにするのは当然です。しかし、百人隊長が、一介のユダヤ人と思われていたイエス様に、このようなことばを発することは異例のことだったのです。自らの罪深さとそれに伴う汚れを認め、主の前に徹底的にへりくだる人を、イエス様は受け入れてくださるのです。

第三に、百人隊長は、イエス様の持つ権威に絶対的な信頼を置いていました。彼は、イエス様に対して「ただおことばをいただかせてください。そうすればしもべはいやされます。」(8節)と述べています。これは驚くべき信頼のことばです。彼は、イエス様の「おことば」だけで、しもべの病が癒されると確信していたのです。なぜこう確信できたのでしょうか。それは、軍人としての経験から、権威ある者のことばの力を十二分に知っていたからです。メシヤとして絶対的な権威を持つイエス様ならばことばだけで病をも服従させることができると彼は信じていたのです。

以上の三つの点から、イエス様はこの百人隊長の信仰を称賛されたのです。そして、イエス様は彼に対して、「あなたの信じたとおりになるように。」と、およそ信仰者に与えられる約束の中でも最大級の約束を与えられました。真の権威者であるがゆえのことばだと言えます。聖書記者はイエス様の約束どおり、この瞬間、彼のしもべが癒されたことを証言しています。権威者であるキリストの前にへりくだって、絶対的な信頼を表明する者は幸いであることを覚えさせられます。

 
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved.