検見川聖書バプテスト教会
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  わたしの心だ、きよくなれ  

2009年1月4日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書8章1〜4節

[1]イエスが山から降りて来られると、多くの群集がイエスに従った。 [2]すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」 [3]イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。 [4]イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」

説教要旨

本日からマタイの福音書8章に入ります。8章と続く9章における中心主題はイエス・キリストの「権威」です。私たちが生きる現代は、権威者であるはずの人たちの権威が大きく失墜していますが、本日の箇所を通して、著者マタイは「病」をも服従させる絶対的権威者がおられることと、そしてキリストの権威を認める者は幸いであることを明らかにしているのです。共に見てまいりましょう。

<らい病人の登場>
イエス様が山上の説教を語り終え、「山から降りて来られ」たとき、ある人物が近づいてきたと記されています。その人物は当時の社会において最も悲劇的な病を抱えていた「らい病※人」でありました。

※注 「らい病」という病気は、現代医学で言うところの「らい病、ハンセン病」ではなく、広く悪性の皮膚病まで含んでいた色々な種類の皮膚病であったと言われている。当時この病気にかかった人は、(1)汚れた者と宣言され、(2)属する共同体から除外され、(3)らい病人は他人が彼に触れないように「汚れている、汚れている」と叫ばねばならなかった(レビ着13章3〜4、45〜46節)。

何故この「らい病人」は、イエス様のもとに来たのでしょうか。それは、この「らい病」という病ゆえの大きな苦悩と孤独を抱えている中で、イエス様のことを知り、このお方なら「らい病」を癒すことができると考えたからです。本来なら人前に出ることすら禁じられていた彼が、イエス様に近づいたことから、このらい病人の切なる(必死の)思いが読みとれます。

<イエス様に対する大胆な告白>
彼は、イエス様に対して、「主よ。おこころひとつで私をきよめることがおできになります。」と、かなり大胆な告白をしています。彼は、自分の病を「きよめる」ことができるのは、イエス様の意志次第であるという、主イエスの「権威」に対する信仰を表明したのです。

この告白から、このらい病人がイエス様を神と等しい存在として認識していたことが分かります。彼が何故このような信仰をイエス様に対して持つに至ったのか、はっきりとした理由はわかりません。ただ確かなこととして言えるのは、彼が自らの汚れを強く自覚していて、その状態からきよめられるのは、イエス様の権威にすがるしかないと信じたということです。

ここに私たちは、病をも服従させる権威者イエス様に対する信仰を見ることができるのではないでしょうか。一方でキリスト者である私たちは、日頃どれだけキリストの権威を認めて生きているでしょうか。

このような大胆な告白をしたらい病人に対して、イエス様は心を動かされ、「わたしの心だ、きよくなれ。」と命じられました。その結果どうなったでしょうか。「すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」(3節)と、確かな事実としてイエス様が病を服従させたことが証言されています。

以上のことから、この「らい病人」のように、悲惨な病を抱えていようとも、主権者であるキリストの権威を認め、絶対的な信頼を表明する者には神の恵みがあることを覚えさせられます。

 
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