検見川聖書バプテスト教会
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  揺るがない土台の上に家を建てる  

2008年12月7日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書7章24〜27節

[24]だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。 [25]雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。 [26]また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 [27]雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。

説教要旨

山上の説教はいよいよ最後の箇所となります。最後にイエス様が話されたのは、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」と「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」の話です。大工であったイエス様らしいたとえ話です。

まず、岩の上に建てた家と砂の上に建てた家について、話は同じように進みます。同じように家が建てられ、家の出来栄えについては何の違いも語られていません。おそらく家族構成なども同じだったのでしょう。このように、表面的には共通点ばかりが目立つ二軒の家でしたが、「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けた」ときに二つの家の結末は全く異なるものとなりました。一方の家は嵐に対してもびくともせず、一方はひどい倒れ方をしたのです。

その理由は単純明快です。すなわち土台が違っていたということです。ひとりは「地を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、その上に家を建て」(ルカ6章48節)、もうひとりは「土台なしで家を建てた」(ルカ6章49節)とあります。土台の重要性を認識していたかどうかが、二軒の家の結末を大きく左右したのです。

さて、このことを、私たちの人生に当てはめてみましょう。普段私たちの人生を支えている拠り所は何でしょうか。ある人は自分自身、ある人はお金、ある人は仕事や財産だと言います。そのような拠り所となるものが、しっかりとした「岩」であるか、それとも崩れやすい「砂」なのか、それは人生の危機に直面した時に、一目瞭然となるのです。

病気、失業、結婚の破綻、子どもの引きこもり、配偶者との死別といった、人生に起こる様々な危機が突如として起こってくる時、「岩」の上に人生の家を築いていた人はびくともせず、「砂」の上に人生の家を築いていた人は、その嵐に翻弄され、なすすべもなく倒れてしまうのです。

イエス様は、本日の箇所の中で、「わたしのことばを聞いて、それを行なう者は、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。」(24節)と言われました。イエス・キリストのことばに権威を認め、それを実行に移してきた人は、人生の危機に際して、そこに自分を支える「岩」を見いだすことになります。

しかし逆に、イエス・キリストのことばに権威を認めず、それを無視して生きてきた人は「砂」のように何の支えも持たないのです。私たちはどちらでしょうか。賢い者と愚かな者となるか、私たちは聖書を前にして、いつでも岐路に立たされているのです。自らの自発的意思に基づいて、揺るがない土台の上に家を建てる者でありたいと思います。

「子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」(箴言8章32〜36節)

 
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