検見川聖書バプテスト教会
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  自己欺瞞の心を育てない  

2008年11月30日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書7章21節

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。

説教要旨

山上の説教において、イエス様が繰り返し批判し、そのような生き方では神の国に入れない、と警告されていた人たちに、自分の心を偽っていた自己欺瞞者たち(パリサイ人、律法学者)がいます。本日はこれまで学んできたことを踏まえつつ、自己欺瞞に焦点を当てて見ていきたいと思います。

<自己欺瞞の育て方>
草花には各々育て方がありますが、自己欺瞞の心はどのようにすれば育つのでしょうか。まず、聖書の御言葉の誤った解釈をすることが必須条件です。自分に都合の悪い御言葉には耳を塞ぎ、都合の良いように解釈することを心がけ、御言葉に示されている神様の御心を正しく受け止めなくても大した問題でないと考えます。

次に、自分の活動を生きがいとすることが大切です。何をするにしても人の目を意識して、人からどう思われるかに心を配るのです。そして、自分が人から認められるためだったら、自分を偽ってでも外面を取り繕うことを追求します。

最後の仕上げとしては、自己検討を拒否することに尽きます。そのためには、決して自分の非を認めずに、いつでも自分は正しい、悪いのは周りだと思い込むのです。自分の抱えている問題と正面から向き合わないで、他人の粗探しをして楽しむならば、自己欺瞞の心は、そう易々と倒れない大木へと確実に成長していくのです。

<自己欺瞞者への批判>
イエス様はこの山上の説教において、このような自己欺瞞の心を育てていた人のことを繰り返し批判されてきました。まず、5章21〜47節において、自己欺瞞者の代表であるパリサイ人、律法学者の誤まった律法解釈を六つの反対命題(殺人、姦淫、離婚、誓い、復讐、隣人愛)によって否定し、その真意を明らかにされました。神の御心を正しく解釈し、受け止めることによってのみ、正しい信仰の芽は育っていくのです。

次に、6章1〜18節において、人を意識した善行(「施し」「祈り」「断食」)は、神から全く評価されないことを明らかにしつつ、隠れたところで見ておられる神を意識して生きるように勧められました。神を畏れ、神を意識した生活は、裏表のない人格を形成していくのです。

そして、7章1〜5節において、人のあら捜しをする生き方を止めて、自分の目の中の梁(罪)に気付くように、すなわち自己検討するように命じられました。自分自身の罪の問題と正面から向き合うことは、神の恵みによって罪が赦されている感謝の心を育てることになるのです。以上のことから、この山上の説教を通してイエス様は、自己欺瞞の心を育てないためにどうしたら良いかを様々な角度から語られていたことがわかります。

最後に、私たちが神様から問われていることを考えましょう。私たち自身は普段の信仰生活の中でどのような心を育てているでしょうか。もし自己欺瞞の心を育てているならば、それを認めて、「主よ。私を偽りのくちびる、欺きの舌から、救い出してください。」(詩篇120篇2節)と正直に告白しようではありませんか。

 
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