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2008年11月23日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書7章21〜23節 |
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[21]わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。 [22]その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 [23]しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』 |
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説教要旨 |
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山上の説教も、あと二回となりました。前回の偽預言者を見分けることに続く箇所である本日の箇所では、私たち自身の信仰が本物なのか偽物なのかを見分ける必要について、イエス様は教えておれらます。 <「主よ、主よ」と言う者について> ですから、教会の側でもこの信仰告白を確認することによって、その人が確かに信仰を持っているかどうかを見分けるのです。しかし続くことばで、イエス様は「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく」(21節a)と、信仰告白した者が、必ずしも全員天の御国にはいるのではない、という衝撃的な事実を明らかにされたのです(参照:マタイ25章31〜46節)。一体、イエス様はどのような意図を持って、私たちの救いの確信が大きく揺らぐようなことばを言われたのでしょうか。 <イエス様のことばの意図> 表面的には熱心に「主よ、主よ」と言いながら、単なる肉の思い、不純な動機で自分がクリスチャンだと思い込んでいる人が実際にいるのです。そのような人の内には、真の罪の悔い改めとイエス・キリストに対する信仰を見出すことはできません。 <偽りの信仰告白者の本心> このような偽りの信仰告白者は、聖書の教えを基準として、「神の国とその義」を第一にして生きるのではなく、自分自身の肉的な考えや感情的な思いを基準として、それに従って生きている罪人の状態なのです。 以上のことから、イエス様は「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいる」と言われていることをご理解いただけると思います。 <偽りの信仰告白者の行く末> しかし、この時にやっと、地上における主に対する熱心な告白も、キリストの弟子としての華々しい成果、実績も、御国の支配者であるイエス様との結びつきを証明するものではないことをはっきりと知るようになるのです。偽りの信仰告白者に対するイエス様のさばきは容赦がありません。「しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(23節) この宣告は法廷における変更の余地のない、絶対的な宣告です。イエス様は、偽りの信仰告白者のことを「全然知らない。」とおっしゃるのです。「知る」とは、深い関わりをもって知るの意味で、「あなたを知らない」とは、あなたの存在を知らないということではなく、わたしの共同体の一員として知らないという意味なのです。「わたしから離れて行け」とは、「わたしの視界から消え失せろ」と、大変強い意味があり、完全な拒絶を表していることばです。偽りの信仰告白者はこのような哀れな結末を迎えてしまうのです。 最後に私たちが本日の箇所から問われていることは何でしょうか。それは、私たち自身が、実体の伴う信仰告白をしているかどうかという点です。あなたは、確かに罪を悔い改め、キリストを救い主として信じて、救われているでしょうか。私たちは、自分自身の信仰がどのような状態にあるかを正しく見分ける必要があるのです。そして、狭い門から入る本物の信仰者として、確信と喜びをもって天の御国に凱旋する者でありたいと思います。 「そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。』」(マタイ25章34節) |
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