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2008年10月5日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:ルツ記2章1〜17節 |
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[1]ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。 [2]モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで。」と言った。 [3]ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。 [4]ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように。」と答えた。 [5]ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。「これはだれの娘か。」 [6]刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あれは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。 [7]彼女は、『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください。』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」 [8]ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。 [9]刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」 [10]彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」 [11]ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。 [12]主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」 [13]彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」 [14]食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。 [15]彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。 [16]それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」 [17]こうして、彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。 |
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説教要旨 |
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ルツ記の2章は、モアブの女ルツがボアズの畑に出かけて行って落ち穂拾いをする様子が描写されています。ここにおいて著者は、ボアズがルツに対して為した「打算を離れた親切」を強調しています。共に見ていきましょう。 <ボアズとルツという人物> 一方で、親切を受けた人としてのルツは、一言で言えば、生活困窮者でした。姑ナオミと共に始まったベツレヘムでの生活は、日々の糧に事欠く有様でした。しかも、頼りになるはずの姑は失意のどん底で無気力になっていましたので、彼女は一人で働いて姑をも養う必要があったのです。不慣れなユダヤの地において、ルツは人生の大きな重荷を背負って生きていたのです。 <ルツに対してボアズがした親切> およそ、これ以上ないほどの特別な親切をボアズはしたのです。しかも、彼のこの親切には、打算的な面は見られません。彼はこの親切をすることで何かメリットを得るとか、ルツからの見返りを期待していたから、という理由ではなく、純粋な動機から親切を行ったのです。それは、ルツが素直にボアズの親切を受け入れたことからも明らかです(13節)。 ここに真実の愛に生きる人の姿を見ることができます。人の外面を見ないで、内面を見て評価する。そして、見返りを求めないで相手の必要を満たし、助けを与える。もし、私たちが不慣れな場所で、このような親切心に満ちた配慮をまわりの人から受けるなら、どんなに心強いことでしょう。 実際に、ルツは見知らぬ人々の中で働くということで、不安や恐れを覚えていたと思われます。また外国人ということで、妨害や辱めも覚悟していたはずです。このボアズの親切に、ルツは戸惑いつつも大いに励まされ、どれだけ安堵したことでしょう。 最後に思い巡らしてみましょう。このボアズのルツに対する「打算を離れた親切」は、神の私たちに対する親切を指し示しているのではないでしょうか。生活困窮者であったルツの姿は、霊的な意味で困窮している私たちの姿であり、ボアズの姿は主キリストを通して、私たちの救いの必要をすべて満たしてくださった神の姿だと言えないしょうか。 実際にイエス様は、私たちを救うため、いのちさえ惜しまずに与えてくださいました。それは私たちのため、真実な愛をもって払われた犠牲です。これは私たちを愛するが故の神からの一方的な恵みなのです。 |
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