検見川聖書バプテスト教会
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  神のなさることは不思議  

2008年9月28日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルツ記4章14節

女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。

説教要旨

迎えるでしょうか。ナオミとルツの嫁姑が織りなす美しい歴史物語である「ルツ記」から、神のなさることがどれだけ不思議に満ちているかを共に見ていきたいと思います。

<神がほめたたえられる光景>
ルツ記の4章14節には、神がほめたたえられている光景が描写されています。「女たちはナオミに言った。『イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。』」聖書に度々記されている、この「神をほめたたえる」とは、人が出来事の背後に生ける神の働きと力を認めたときに、心に自然に湧き起こってくる賛美なのです。

<この箇所で神がほめたたえられている理由>
では、この箇所において具体的にどのような出来事があって神がほめたたえられているのでしょうか。その理由は、過去におけるナオミの告白と深く関係しています。

かつて最愛の夫と二人の息子をモアブの地で失い、失意のどん底で故郷のベツレヘムに嫁ルツと共に帰って来たナオミは、出迎えた近所の女たちに対して、こともあろうか神に対する不満を口にしていたのです。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」(1章20〜21節)

ここでナオミは、神が自分をひどい目に会わせたと証言しているのです。このナオミの愚痴とも取れる告白を聞いた近所の女たちも、同様のこととして受け取ったに違いありません。しかし、その後のナオミとルツの歩みは、まわりが驚くほどに不思議なことの連続でした。わずか数ヶ月の間に、モアブの女であるルツが町の有力者であるボアズと結婚し、その一年後にナオミにとって待望の孫が生まれたのです。

かつて悲惨の極みを味わっていたナオミが今は幸せのただ中にいるという不思議。近所の女たちが、この一連の出来事を通して気付いたのは、かつてナオミが非難した神が、実は最善の計画を立てて、導いておられたことでした。そもそも神はナオミを祝福しようと既に計画を立てられ、実行に移されていたのです。それは素晴らしく不思議なみわざでありました。

この近所の女たちは、ルツとボアズとの間に生まれた子を見て、そのことを確信したのでしょう。ですから、ここで女たちが「神をほめたたえている」のです。それは、神のなさったことへの驚きと不思議を思って、ほめたたえないではおられなかったからなのです。

最後に覚えましょう。私たちが信じている神は、このような不思議をなさる方であることを。確かに、私たちの人生には受け入れがたい出来事が起こります。しかし、その背後にあって不思議な方法で導いて最善を与えてくださる神を信頼して生きるなら、すべてが神のご計画の中で起こっていることを肯定的に受け止めることができるのです。これは素晴らしい恵みではないでしょうか。

 
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