検見川聖書バプテスト教会
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  地上に宝を蓄える虚しさ  

2008年8月17日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書6章19〜21節

[19]自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 [20]自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 [21]あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

説教要旨

山上の説教は、ここから(6章の終わりまで)新しい区分となります。主題は「神の国の民は人生をどう生きるべきか」です。クリスチャンにとって大変重要であるこの問いに対して、イエス様はどのような答えを提示されているのでしょうか。本日は、私たちの生き方に多大な影響を与える「地上の宝」、すなわち金銭・物質に対して取るべき態度について、御言葉から見ていきたいと思います。

<イエス様の勧め(1)「宝を地上に蓄えるな」>
まず、イエス様は「自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい。」と勧めておられます。一見すると禁欲的な勧めにも思えますが、人が金銭・物質を所有すること自体が悪いのではありません。神は私たちクリスチャンが地上の歩みを堅実に送ることを望まれています。ですから、将来のために備えは必要なのです。しかし、地上の宝の追求は私たちを信仰から迷い出させる誘惑ともなるのです(Tテモテ6章10節)。

そして、地上という場所は、「虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。」(19節b)と言われているとおり、価値が損なわれやすく、簡単に奪われてしまうところです。ルカ12章13〜21節には、地上の宝に心が奪われて破滅した金持ちの農夫が登場していますが、このことをわかりやすく説明しています。ですから、イエス様は、それらに執着して生きること、あるいは、それらを何よりも高く評価して生きることを止めるようにと教えてくださっているのです。

<イエス様の勧め(2)「宝は天に蓄えよ」>
では、金銭・物質はどこに蓄えれば良いのでしょうか。イエス様はそれらを「天に蓄えなさい。」と勧めておられます。「天に蓄え」るとは、神のみを信頼して地上の人生を生きることを意味します。神の国の民であるクリスチャンは、「私」の生活の必要一切を神はご存知であり、その必要を必ず与えてくださるという約束を与えられています。その約束に基づいて神を信頼して生きるとき、金銭・物質に頼る必要を覚えなくなるのです。イエス様が教えてくださっているように、天の宝は「虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこと」(20節b)がない訳ですから、永遠に残る財産として所有することができるのです。

それでは、金銭・物質を「天に蓄え」るとは、具体的にどのようなことでしょうか。以下にあげる三つの点を正しく認識し実践することによって可能となります。

第一に、金銭・物質の真の所有者は神であり、人はあくまで管理者であること。

第二に、神が私たちに期待されているのは、金銭・物質をどのくらい所有するかではなく、どのように用いるかということ。

第三に、神の期待に添うように実際生活の場において用いていくことです。

続く21節では、「あなたの宝のあるところにあなたの心もあるからです。」と主は言われます。私たちにとっての宝であるものは今どこにあるでしょうか。また、私たちは何による満足を求めて生きているでしょうか。最終的に虚しい生き方にならないよう、永遠に残る宝を天に蓄えていきたいものです(マタイ6章33節)。

 
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