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2008年8月10日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書6章16〜18節 |
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[16]断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 [17]しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 [18]それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。 |
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説教要旨 |
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マタイ6章1〜18節では、宗教的偽善に対する警告が三つ取り上げられています。「施し」「祈り」と続きましたが、三つ目の偽善は「断食」です。ここから「立派な人を演じない」ということについて共に見ていきたいと思います。 <「断食」とは何か> <偽善的「断食」への警告> イエス様は、彼らの心を見抜いておられましたので、ここにおいて「断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。」(16節)と、偽りの断食を厳しく戒めておられるのです。このような行為は、敬虔さを装った虚飾(内容を伴わない上辺だけの飾りの意)虚栄(身分・財産・地位・実力などを実質以上にみせかけてそれを誇ることの意)だと言えないでしょうか。 このような人たちの偽善的断食に対してイエス様は、「まことにあなたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」と、まわりの人びとが断食をしている者に感嘆の声をあげるなら、それがその人の受ける報いの全てとなると、断言されたのです。結局のところ、そのような生き方は、神の前に虚しい偽りでしかなく、決して評価されるものではないのです。 <神を意識する生き方の勧め> その理由は18節に記されているとおりです。このことばは、6章の4節と6節にも出てくることばで、イエス様の勧めの結論でもあります。イエス様はこのような勧めを通して、私たちが神を意識する生活の必要を教えてくださっているのです。 <結論> |
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