検見川聖書バプテスト教会
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  価値なき者に与えられた恵み  

2008年7月27日(日) 礼拝説教要旨
説教者:疋田 健次 神学生

聖書箇所:ローマ人への手紙3章23〜24節

[23]すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 [24]ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。

説教要旨

人は皆、他の人とは異なる「価値観」というものを持っています。ですから、ある人にとっては、なくてはならない大切なものであったとしても、他の人にしてみれば、それは何の価値も持たない、ということもあるわけです。この価値観の違いは、「周りの物事をどのように評価するか?」ということだけに留まらず、「自分自身をどのように評価するか?」という点においても見ることができます。自分自身を高く評価する人もいるでしょうし、低く評価する人もいるでしょう。私たち人間は、それぞれが異なる価値観で自分自身を評価するのです。それでは、そのような人間を、いつの時代も決して変わることのない神の言葉である「聖書」は、一体どのように評価しているのでしょうか。

聖書には、「すべての人は、罪を犯した」と記されています。つまり人間は、価値ある存在どころか、犯罪人であると記されているのです。「私は罪を犯したことなどない」という人もあるでしょう。しかしそれは、その国の法律には触れていない、というだけのことなのです。聖書は、神によって造られた人間が、造り主である神の存在を無視し、自分中心に生きていることこそ、最も重大な罪であることを教えています。そしてその罪が、「神からの栄誉を受けることができない」という深刻な影響を及ぼしていることも教えているのです。

人間は本来、神からの栄誉、言い換えるなら、神から与えられるあらゆる祝福を存分に受けることのできる最高の存在として造られました。しかし罪の影響によって、その栄誉を受けることができなくなってしまったのです。結果として人は生涯悩み、苦しみ、やがては死を迎える存在となったことを聖書は教えています。罪を持つ私たち人間は、神の目から見るならば、価値ある存在どころか、価値なき存在、いやむしろ有害な存在と言っても、決して言いすぎではないのかもしれません。

しかし、そのような価値なき人間を、神は一方的に愛してくださっていることを聖書は教えています(イザヤ43章4節)。そして人を愛するがゆえに、神は豊かな恵みを示してくださっているのです。その事実こそ「キリスト・イエスによる贖い」、十字架におけるすべての人間の罪の身代わりとしての死と復活であり、人はこのことを信じることによって、「値なしに義と認められる」ことを聖書は教えているのです。

価値なき者をなお愛してくださり、義なる者、正しい者だと認めてくださる「神の恵み」は、なんと豊かなものなのでしょうか。私たちはこの恵みに対して、ただただ感謝するばかりです。

 
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