![]() |
![]() |
||
2008年7月20日(日) 礼拝説教要旨 |
|||
聖書箇所:マタイの福音書6章14〜15節 |
|||
[14]もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 [15]しかし、人を赦さないなら、あなたがたの天の父もあなたがたの罪をお赦しにはなりません。 |
|||
説教要旨 |
|||
「主の祈り」に続く箇所である14、15節では、主の祈りの第五の願い「赦し」の問題が再び取り上げられています。ここでイエス様は「人を赦すこと」が極めて重要であることを強調しつつ、その実践においてクリスチャンは積極的であるべき、と命じておられるのです。 <ここで教えられていること> このたとえ話では、一生働いても返済できないほどの莫大な借金「1万タラント」を王から返済するように命じられた家来が、土下座して借金返済の「猶予」を願ったところ、王の深いあわれみによって、「借金」を全て免除してもらっています。 普通は有り得ないこのたとえ話によってイエス様は、人間一人が負っている神に対する罪の負債額が実際には返済不可能なこと、そして、罪の赦しは神の一方的な憐れみによることとを明らかにしているのです。 具体的には、イエス・キリストの十字架の死と復活という神の憐れみの行為により、私たちの罪という負債は全て帳消しにされたのです。人は、この神の一方的な憐れみによって、死後にさばきを受けることがなくなりました。さらに、現実生活においても罪責感から解放され、主の愛に包まれて、平安の内を歩むことができるようになったのです。これは、実に驚くべき恵みではないでしょうか。(参照:コロサイ2章13節〜14節) <私たちが実践すること> そのような意味で、私たちは神に罪を赦していただいたことを、忘れることなく感謝し続ける者でありたいと思います。また、「人を赦す」という行為を現実生活において積極的に実践できるよう努めようではありませんか。 使徒ヨハネは、人を赦すということをさらに積極的な事柄として捉えるよう、初代のクリスチャンたちに勧めています。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。・・・もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちに全うされるのです。」(Iヨハネ4章7〜12節) ヨハネの勧めどおり、私たちは人を赦すことによって、この地上に神の愛を完成させる使命を十分に果たすことができるのです。罪赦された恵みに動かされて、互いにその使命を誠実に果たしていく者となりましょう。 |
|||
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved. |
![]() |