検見川聖書バプテスト教会
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  だからこう祈りなさい(6) - 負い目をお赦しください  

2008年6月15日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書6章9〜13節

[9]だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。 [10]御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。 [11]私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 [12]私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 [13]私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』(国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。)

説教要旨

祈り方が分からないでいる人々に対してイエス・キリストが教えられた祈り−それが「主の祈り」です。本日の「私たちの負い目をお赦しください」は5番目の願いです。私たちの心(精神)の必要に関わることが取り上げられています。

<「負い目」の意味>
まず、目に留まるのが「負い目」ということばです。このことばは、辞書によれば「助けてもらったり、つらい目にあわせたりしたことについて負担に思う気持ち」という意味です。イエス様の時代のユダヤ人は、「罪とは負債である」という考えがあったので、罪ということばの代わりに良く「負い目」を使っていたのです。

この「負い目」意識は、私たちの中にも見出せるものです。例えば、誰かに対して損害をかけたのに弁償していない、誰かを傷つけてしまったことがある等は誰しも経験しているのではないでしょうか。

さまざまな人間関係の中で、親は子に、子は親に、夫は妻に、妻は夫に負い目を抱えて生きています。このような「負い目」意識は、未解決のままにしておくことで、相手との人間関係が改善されないのみか、私たち自身の内に、“自分は責められている”、“自分は赦されていない”、という否定的な記憶が心に刻まれ、その結果心が痩せ衰えていく要因となるのです。

そのような意味で、「負い目」とは、実に恐ろしいものだと言えるのです。そのような負い目を抱えている時の苦しい心境をダビデは語っています。「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。」(詩篇32篇3〜4節)

このダビデの告白は、負い目を抱えて生きている私たちの告白と重ならないでしょうか。どれだけ多くの人が、「負い目」を抱えていることによって、苦しみと疲労を覚えていることでしょう。イエス様はそのような私たちの心(精神)の必要をご存知の方ですから、「負い目」の問題を解決するために、どうしたら良いかを教えてくださっているのです。私たちは、このイエス様の教えられることに対して、真摯な態度で耳を傾けなければなりません。

<「負い目」を解決する手段>
「負い目」が解決されるために、イエス様が教えてくださった方法は、負い目を“考えない”ことや自分は悪くないと“開き直る”ことではなく、自分の罪を素直に認めて、「赦し」を請うことなのです。しかも、その対象となっているのは、私たちが迷惑をかけた誰かではなく、「天にいます父」なのです。神に願って何の意味があるのか、という問いには次のように答えることができます。

第一に、私たちが負っている根元的な負い目は創造主である神に対してであること。第二に、神が私たちの“心”の必要をすべてご存じであるからです。

私たちが、この神を信頼して「負い目の赦し」を求めるとき、神はその祈りに応え、私たちを負い目から解放させてくださるのです。私たちは、イエス様が教えてくださった通りに、真剣にこの祈りをする者でありたいと思います。

 
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