![]() |
![]() |
||
2008年5月25日(日) 礼拝説教要旨 |
|||
聖書箇所:マタイの福音書6章9〜13節 |
|||
[9]だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。 [10]御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。 [11]私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 [12]私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 [13]私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』(国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。) |
|||
説教要旨 |
|||
本日から主の祈りは後半に入ります。前半では神に対しての願いが教えられていましたが、後半では“私たちの必要”について三つの願いが教えられています。(1)「日毎の糧」は、私たちのからだの必要のため、(2)「負い目の赦し」は、精神(魂)の必要のため、(3)「悪からの守り」は霊的な必要のための願いです。これら三つの願いの中に、私たち人間の必要はすべて含まれているのです。 <第四の願いの意味> <この願いをする必要性> 第一の理由は、私たち人間は肉体を持つ者として「日毎の糧」を本当に必要としているからです。近年、世界的な規模で資源の争奪戦が起こり、食料品などの値上げが相次いでいます。このような現実に生きる私たちは、贅沢するためではなく、からだの維持と成長のために、「日毎の糧」の必要を覚える者として、この祈りをするのです。 第二に、本当に必要なものが何かを見失っている私たちがいるからです。利己的であるが故に、私たちは常に神のみこころに添って物事を考えることができません。その結果、目先の必要にのみ心奪われ、それさえ得られれば良いと錯覚してしまうのです。モーセに率いられたイスラエルの民(申命記8章2〜5節)は、まさにそうでした。私たちは、自分が願い求める「日毎の糧」が、神が与えようとしてくださるみこころと合致するように、この祈りをするのです。 第三に、すべての必要をご存知である神に対して100%信頼していない私たちがいるからです。全ての支配者であり、そのご意志を完全に実現される神が、私たちの父として、「だからこう祈りなさい。」と言って下さっているにも関わらず、信頼しないで、目に見えるものや自分の力に頼ってしまうのが私たちの姿ではないでしょうか。心の問題には答えてくださるが、物質的な必要には答えてくださらないだろう、と心の中で「神を小さくして」しまうと、状況に応じて、このことは神様に任せられない、という不信の思いが出てくるのです。神を信じてはいるが、自分の力で生きているという人は、このケースに当てはまります。 私たちは神の子どもなのですから、父である神に信頼する生活を通して、神の栄光を表すことを心がける者になろうではありませんか。 |
|||
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved. |
![]() |