検見川聖書バプテスト教会
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  だからこう祈りなさい(4) - みこころがなりますように  

2008年5月18日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書6章9〜13節

[9]だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。 [10]御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。 [11]私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 [12]私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 [13]私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』(国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。)

説教要旨

主の祈りの前半部分の最後は「みこころ」に関する願いです。この願いの意味とこの願いをする必要について、共に見ていきましょう。

<第三の願いの意味>
まず、「みこころ」とは、この世界を造られた神のご意志のことです。この神のご意志は、有限な存在である私たち人間が完全に理解できるものではありません(イザヤ55章8〜9節参照)。しかし、神はご自分のご意志を「聖書」という特別啓示によって明らかにしてくださいました。この神の「みこころ」の中心は、ヨハネ福音書においてはっきりと宣言されています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)。

このように、「みこころ」とは、私たちを苦しめ、滅ぼすものではなく、滅びの状態から何とか救い出そうとする愛とあわれみに根差すものだと言えるのです。ですから、この願いは、神のご意志が、神のお住まいである「天」において完全に行われているように、私たちの生かされている「地」においても完全に行なわれることを願い求めることなのです。

<この祈りをする必要性>
三つの理由があります。

第一に、私たちは神のみこころの結果として、救いを受けている者だからです。父なる神は、私たちを罪と死の滅びから救い出すために、御子イエス・キリストをこの地上に送るというご意志を実行に移してくださいました。さらに、御子イエス・キリストは、地上における生涯で、その父なる神のみこころに自発的な意志をもって従い、十字架において死んでくださいました(イザヤ53章参照)。このような神のみこころの結果として救いをいただいた私たちは、喜びと感謝を込めてこの祈りをするのです。

第二に、神のみこころを知らず(認めず)にいる多くの人がこの地上にいるからです。「神など信じない」という態度を取る人、自分の気に入った「神々」をこしらえる人、神のみこころを曲解する人が大勢います。そのような多くの人々の行く末(神のさばき)を思う時、本当に必要な神の「みこころ」を知ることを心から願いつつ、この祈りをするのです。

第三に、神のみこころを本気で求めていない私たちがいるからです。クリスチャンは、時として、自分にとって都合の良いことを「みこころ」と言ったり、自分を正当化するために「みこころ」を持ち出したり、神の「みこころ」を恐ろしいものとして捉えてしまったりして、本来の「みこころ」を見失ってしまうことがあるのです。人間とはどこまでも神中心に考えることのできない利己的な存在です。神を愛している、従いますと言いながら、なお自分自身に執着して、神のみこころがなることを本気で願っていないのが私たちの姿ではないでしょうか。このような自分に気付くとき、「どうか、私を通して、あなたのみころをなしてください。」と自分を明け渡す献身の思いを込めて、この祈りをするのです。

私たちは神のみこころを知る者として、イエス様が教えてくださったとおり、この願いを日々祈る者でありたいと思います。

 
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