検見川聖書バプテスト教会
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  御名があがめられますように  

2008年4月27日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書6章9〜13節

[9]だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。 [10]御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。 [11]私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 [12]私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 [13]私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』(国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。)

説教要旨

主の祈りは七つの願いによって構成されています。前半三つは神ご自身に関する願い、後半四つは人間の基本的な必要に関わる願いです。第一の願い「御名があがめられますように」は、神ご自身に関する願いでも、最優先事項とするように教えられているものです。

<第一の願いの意味>
最初に、この願いの意味について見ていきましょう。まず、「御名」とは、神ご自身を指す呼び名です。当時のユダヤ人が、神を呼ぶ時に、普通に使っていたこの「御名」は、大いなる神に対する畏れと尊敬を込めて使われていたのです。

次に、「あがめる」とは、聖なるものとして他のものから区別されること、つまり聖別することを意味します。旧約聖書においては、祭司、安息日、犠牲のいけにえ、神殿、神殿用具などが「聖なるもの」として他と区別されていました。以上のことから、「御名をあがめる」とは、どのような時と状況においても、神が神として認められるよう心から願うことなのです。

<この願いをする必要性>
では、どうしてこのように願う必要があるのでしょうか。二つ理由があります。第一に、神が神とされることには程遠い現実があるからです。パウロは証言しています。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは・・・愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」(ローマ1章21〜23節)ex.偶像礼拝、無宗教、進化論、深刻さを増す人間の罪etc。私たちは、このような現実を見るとき心に痛みを覚えます。そして、神が神とされることを願って、「御名があがめられますように」と心から祈るのです。

第二に、普段の生活において、“神があがめられる”生き方をしていない私たちがいるからです。私たちクリスチャンの生きる目的は、私たちの生き方を通して、神の素晴らしさが明らかにされていることにあります。しかし、実際はどうでしょうか。パウロが指摘しているように、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」(ローマ2章24節)ということが、少なからずあるのではないでしょうか。

私たちは、自分が認められないこと、馬鹿にされることには敏感です。しかし、神ご自身が認められないことにおいて鈍感になっている場合があるのではないでしょうか。私たちは、そのような自分に気付くとき、「御名をあがめさせたまえ」と祈る必要を強く覚えるのです。神の前に悔い改めの思いを持ちつつ、何よりもまず、「主よ。どうぞ、このような弱い者を助け、力づけ励まして、神を神とする生き方をさせてください」と心から願って祈るのです。

最後に考えてみましょう。祈りにおいて私たちの心の最高位を占めているのは何か。「御名があがめられる」ことを祈りの最優先事項とし、私たち自身が常に「御名をあがめ」ているならば、それは神の前に価値ある生き方だと言えるでしょう。

 
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