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2008年4月13日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書6章9〜13節 |
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[9]だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。 [10]御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。 [11]私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 [12]私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 [13]私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』(国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。) |
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説教要旨 |
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イエス様が二つ目に取り上げた偽善的善行は「祈り」です。祈りとは、信仰によって神と向き合おうとする人間の敬虔前の箇所でイエス様が勧められたことは、人を意識した偽善的「祈り」を止めて、神を意識した祈りをするということでした。本日の箇所では有名な「主の祈り」を通して、神に届く祈りの原則について具体的に教えてくださっています。 まずは冒頭の呼びかけのことば「天にいます私たちの父よ」を見ていきましょう。この呼びかけは「天にいます」と「私たちの父よ」に分けることができます。 <1:神を天にいます方として呼びかける> このような神は「ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方」(Tテモテ6章16節)とパウロが証言しているように、地上に繋がれて生きている私たちにとって、畏れおおい主権者でしかありません。ですから、多くの人は「神は果たして自分のようなちっぽけな存在のことを顧みてくださるのだろうか」という問いが湧き起こって来て、神を遠い存在として感じてしまうのです。 <2:神を私たちの父として呼びかける> 私たちの地上における父親は不完全でしかありません。しかし、天の父は完全な愛を持ち、子どもの必要に十分配慮しつつ、私たちが呼びかけることを喜んで聞いてくださるお方なのです。天地万物の創造者である方を「お父さん」と誰にも気兼ねなく呼ぶことができるとは、何と素晴らしい特権、祝福でしょうか。 なぜイエス様は、神を「お父さん」と呼ぶように教えてくださったのか。その答えはイエス様に対する信仰と関係があります。罪ある人間は全て「御怒りを受けるべき子ら」(エペソ2章3節)でした。しかし、使徒ヨハネが「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と証言している通り、イエス様を救い主として信じるならば、誰であっても罪赦されて神の子どもになれるのです。 この恵みを覚えつつ、畏れと信頼をもって、「天にいます私たちの父よ」と呼びかけていこうではありませんか。 |
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