検見川聖書バプテスト教会
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  ひとつ思いになる教会  

2008年2月24日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ピリピ人への手紙2章1〜4節

[1]こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、 [2]私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。 [3]何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。 [4]自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。

説教要旨

新年度の教会目標は「ひとつ思いになる教会」です。キリストのからだである教会は絶えず一致が求められる共同体です。しかし、時として一致が乱れる場合もあります。本日は、このテーマについて共に聖書から見ていきましょう。

<ひとつ思いでない教会>
まず考えたいのは「ひとつ思いでない教会」です。このような教会に特徴的なことは、“他人に無関心”であること、あるいは“人を選り好みする”ということです。他人に無関心な教会では、集う人々の関心が自分(の救い)だけに向けられるので、一緒に集っていても各々の心はばらばらです。当然教会の中での人間関係は表面的であり且つ冷え切ったものとなります。聖書の例をあげれば、自分が癒されることだけに関心を払って、他の人には無関心であったベテスダの池に集う人々が当てはまるでしょう(ヨハネ5章2〜7節)。

一方で、人を選り好みする教会では、自分の好き嫌いという感情に基づいて人間関係を築くので、教会内に幾つかの対立するグループが存在するといった混乱した状況が見られるのです。だから、全体の思いがひとつになることも当然ありません。聖書の例をあげれば、各々に自分の好きな指導者につこうと分裂していたコリント教会がまさにそれです(Iコリント1章10〜12節参照)。

以上のことから、「ひとつ思いでない教会」とは、仮に立派な礼拝堂に沢山の人が集まっていたとしても、教会の本質的な姿を見失っていると言えるのです。

<ひとつ思いの教会>
それでは、本日の説教テーマである「ひとつ思いの教会」とはどのような教会なのでしょうか。一言で言えば、神にあって互いを大切な存在として認め合い、感情に左右されない真実な人間関係を形成する教会のことです。ここに集う人たちは、自分のことだけに関心を払うことをせず、教会の頭である三位一体なる神を中心とした信仰を確立しています(ピリピ2章1節参照)。

神を中心とした信仰とは、キリストにある罪の赦し、ひとり子を与えるほどに大きな父なる神の愛、助け主なる聖霊の交わりによって、日々励ましと慰めを頂いていることを実感していることを意味します。ですから、仮に赦せない人がいても赦す思いを持ち、苦手な人がいても受け入れようと努めるのです。このような神を中心とした人々の集まり(共同体)は、「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」(同2章2節)とのパウロによる一致の勧めを抵抗なく聞き入れることができるのです。

<私たちが目指すべき教会の姿>
最後に、初代教会の姿を通して、私たちが目指すべき教会の姿について思いを巡らしていきましょう。

「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。」(使徒の働き4章22〜23節)

 
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