検見川聖書バプテスト教会
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  人生に答えを与える神  

2008年1月20日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:創世記45章1〜15節

[1]ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。 [2]しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。 [3]ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。 [4]ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。 [5]今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。 [6]この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。 [7]それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。 [8]だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。 [9]それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。 [10]あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。 [11]ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。 [12]さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。 [13]あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」 [14]それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。 [15]彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。

説教要旨

私たちは、自分の望んでいない出来事や状況に直面した時、「何故」「どうして」という問いを持つことがあります。“自分だけが「何故」”、と叫びたくなる時があるのです。果たして私たちの人生に起こることには、はっきりとした答えがあるのでしょうか。本日はそのような問いを幾度となく神に問いかけたヨセフの生涯から、そのことについて考えていきたいと思います。

<何故と思えることばかりが起こる人生>
このヨセフの人生を一言で表すと「波乱万丈」が当てはまります。家庭におけるヨセフは、「年寄り子」であったこともあり、父ヤコブから特別扱いされて育ちます(創世記37章3節)。しかし、彼を妬んでいた10人の兄たち(同37章4、5、8、11、18)から憎まれて、何とエジプトに奴隷として売られてしまうのです(同37章28節)。彼は17歳という若さで、愛する父と慣れ親しんできた地から引き離され、見知らぬ世界へと追いやられてしまったのです。実に悲劇的な経験だと思います。

その後エジプトにおけるヨセフはパロ(王)の廷臣である侍従長ポティファルという人の家と全財産を管理するようになりました。主人から信頼されていたヨセフでしたが、ある時、主人ポティファルの妻のたくらみによって濡れ衣を着せられ、監獄生活を強いられるようになったのです(同39章11〜20節)。これも人生における悲劇です。さらにヨセフは監獄において出会った献酌官長の不誠実な態度によっても大きな失望を味わいました(同40章1〜23節)。出獄できる望みが消え去り、その後2年間も監獄での無駄としか思えないような生活が続いたのです(同41章1節)。このような経験を通して、ヨセフの心の内には、「なぜ」「どうして」という神への問いが幾度となく湧き起こってきたことでしょう。

<ヨセフの生きる姿勢>
普通の人であれば、絶望してしまうような状況において、ヨセフはどのように生きたのでしょうか。鍵となることばは「主がともにおられ」(同39章に4回)にあります。逆境の最中にあっても、ヨセフには神に信頼して生きる姿勢がありました。ですから、どのような環境にも柔軟な態度で臨むことができたのみか、絶望を覚えるような状況に直面してもつぶやくことをせず、むしろ積極的にその状況で最善を尽くすことができたのです。理不尽なことに遭遇して、「何故」という問いを持ちながらも、ヨセフは神が答えをくださる方であることを信じ、神に全てを委ねて生きる人だったのです。

<人生に答えを与えてくださる神>
その後しばらくして、エジプトの総理大臣という立場で食糧を買い求めに来ていた兄弟たちと対面したヨセフは、かつて兄たちが自分にしたことを心から悔い改めているのを見ることによって、神から明確な答えを頂きました。すべての出来事が神のご計画によって最善に導かれていたことを確信したヨセフは、自分にひどいことをした兄たちに言います。「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。・・・それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(創世記45章5〜8節)驚くことに、このヨセフのことばからは兄たちに対する非難は一切見られません。むしろ、「神が私をこのようにしてくださった。」という確信が語られているのです。自分の人生を神の視点で受け止める人の幸いを覚えさせられます。

 
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