検見川聖書バプテスト教会
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  世に現わされた最高の愛  

2008年1月6日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ヨハネの福音書3章16節

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

説教要旨

この有名な聖句は、「聖書の中の聖書」とも呼ばれ、キリスト教のメッセージを完全に要約していると言われています。本日はこの御言葉から「世に現された最高の愛」についてみていきましょう。

<この世に見られる「愛」>
私たちが生きるこの世には「愛」ということばが氾濫しています。しかし、現実に見られるほとんどの愛は、“自分に向かう愛”であったり、“犠牲を払わない愛”、“見返りを求める愛”ではないでしょか。このような愛が主張されるところでは、エゴとエゴがぶつかり合うので、人間関係に破壊と悲惨が生じるのです。どうぞご自分に当てはめて考えてみてください。

<世に現された「最高の愛」>
神はこのような「愛」しか知らない私たち人間に対して、イエス・キリストを世に遣わすことによって「最高の愛」を与えてくださいました。

第一に、最高の愛とは、大きな犠牲を伴うものです。「神は、実に、そのひとりごをお与えに」とある「ひとりご」ということばには、「比べるものがない」という意味があります。神は私たちに「最高の愛」を与えるにあたって、天使などの被造物ではなく、かけがえのない存在であるご自身のひとりご(イエス・キリスト)を遣わしてくださったのです。

第二に、この犠牲の背後に父としての痛みと決断がありました。「神は・・・お与えになった」とのことばからは、ご自身の手から御子を手放された父としての痛みと決断の思いが伝わってきます。神の愛は驚くほどに深い愛であることがわかります。

第三に、神はすべての人を分け隔てなく愛されました。「神は・・・世を愛された」とあるように、神は誰か特定の人だけを愛されたのではなく、人種や宗教、性別に関係なく全ての人を愛の対象として選んでくださったのです。神の愛は驚くほどに広い愛なのです。

<「最高の愛」によってもたらされた幸い>
この「最高の愛」は、この神の愛を知らず、神の前に失われたも同然であった私たち人間に最高の幸せを与えるものとなりました。なぜそう言えるのかと言いますと、この節の後半において「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16節b)と証言されているからです。最高の愛を受けた人には、死後における永遠の「滅び」からの回避と、死をも乗り越える「永遠のいのち」が付与されるということは、私たち人間の力では不可能な“死の恐れからの解決”が与えられることを意味するのです。限りあるいのちしか持たない人間にとってこれ以上の幸いは果たしてあるのでしょうか。

最後にこの「最高の愛」を得る方法についてみていきましょう。この御言葉によれば「御子を信じる」という方法のみが提示されています。「最高の愛」は、人間的な努力や願いの強さによって得られるものではなく、救い主であるイエス・キリストを信じる者に与えられるものなのです。このイエス・キリストによって「世に現された最高の愛」、あなたは既に得ておられるでしょうか。

 
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