検見川聖書バプテスト教会
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  貧しい幼子となった救い主  

2007年12月9日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルカの福音書2章21〜24節

[21]八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。 [22]さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。 [23]それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであった。 [24]また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。

説教要旨

19世紀の哲学者キルケゴールは『哲学的断片』という書物の中である例話を述べています。「ある王が身分の低い娘を愛するようになった。彼はどのようにして彼女に求愛すべきか。もし従わなかったら牢屋に入れるぞ、と脅して愛を強制するか。それはできない。たとえ言うとおりにしたとしても、おびえながらの応答はとても愛とは呼べない。あるいは眼のくらむような贈り物をもって彼女の気持ちをとらえようか。それもできない。それで言うことを聞いても、彼女が魅かれたのが王自身なのか、それとも彼がもつ富と権力なのか見分けられない。王にとって最善の手段は王権と富を脇において、貧しい姿をとって彼女に近づき求愛することである。彼が本当に彼女を愛しているなら、喜んで自らの特権を犠牲にするだろう。」(「『キリスト教は初めて』という人のための本」内田和彦著)

聖書の神は、約2000年前にまさしくこのとおりのことをしてくださったと聖書は証言しています。それがクリスマスの出来事なのです。神の御子は、私たちへの愛ゆえに、神としての栄光と特権を犠牲にして、貧しい庶民の家に生まれたのです。今日の箇所を通して、そのようにして生まれたイエス様が、私たちの一員となるために具体的に何をされたかが記されています。それが、ユダヤに生まれた男子として受けた三つの儀式によって表されているのです。

<儀式(1)「割礼」>
割礼とは、男性の性器の包皮の一部を切開(もしくは切り捨てる)儀式です。イスラエルの男児は生まれて八日目に割礼を受けることが律法に定められていたのです(創世記17章9〜14節)。ユダヤ人にとっては、割礼を受けていることが、イスラエル民族に属していることの外面的なしるしとなりましたから、これは極めて重要な儀式だったのです。イエス様が「割礼」を受けられたということは、民の正式な一員となったことを表しているのです。

<儀式(2)「産後のきよめ」>
当時のユダヤでは、女性が子どもを産んだときは、一定の期間(男児は40日間・女児は80日間)汚れているとみなされました(参照:レビ記12章1〜8節)。子を産んだ女性は、このきよめの期間を過ごした後に、神に献げものをして、肉体が清められたことを明らかにする必要があったのです。イエス様の母マリヤが、「産後のきよめ」の期間を過ごし、神にいけにえを献げたということも、ユダヤ人となるために必要な儀式であったのです。

<儀式(3)「長子の聖別」>
これも当時のユダヤ人にとっては通例です。長男は本来神のものとして、神に献げるべき者(民数記8章14〜19節)でありましたから、このことを通してもイエス様が正式な民の一員となるために、「ご自分を無にして」律法に従って、ユダヤの慣習を行って下さったことがわかります。

最後に、これらの儀式は全て私たちに対する神の愛を示すものであったことを覚えましょう。“貧しい幼子となった救い主”こそが、私たちを罪の支配から解放してくださるお方です。この神の愛に私たちは何をもって応えるのでしょうか。

 
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