2007年9月23日(日) 礼拝説教要旨 |
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聖書箇所:マタイの福音書5章33〜37節 |
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[33]さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 [34]しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。 [35]地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。 [36]あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。 [37]だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。 |
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説教要旨 |
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前回は、旧約聖書の「誓い」規定を通して、(1)人間に誠実さを求める神、(2)不誠実な対応しかできない人間、(3)変わらぬ誠実さをもって応答してくださった神、についてとりあげました。今回はその続きです。 <「誓い」の本来の精神とは> もしそうであるならば、私たちクリスチャンは、この世の中と隔絶した生き方を選ばねばなりません。イエス様が言われたことの意図は、誓ったことは誠実に果たすべきであるから、最初から守ることのできない(守りたくない)誓いなら「決して誓ってはいけない」ということなのです。神は私たち人間にどこまでも“誠実であること”を求めておられるのです。 <「誓い」の形骸化についての指摘>次にイエス様は、当時の人々がどのように誓いを形骸化していたかを指摘します。「天をさして誓ってはいけません。・・・地をさして誓ってもいけません。・・・エルサレムをさして誓ってもいけません。・・・あなたの頭をさして誓ってもいけません。」(34〜36節)。当時の人々は、旧約聖書を自らに都合よく解釈し、「天」「地」「エルサレム」「頭」など、神の名を持ち出さなければ、誓いを守らなくてもよいと考えていたのです。このように「誓い」規定を形ばかりのものにしていた人々に対して、イエス様はすべてのことばは創造主である神の御前で語られていることである。だから守らなくてもよい誓いなどないのだと言われたのです。イエス様のこの指摘は、神と人の前に不誠実な人の内面の罪を明るく照らすものとなりました。 <「誓い」に関する締めくくりのことば> 最後に自分自身に当てはめてみましょう。もし、私たちの心が御言葉の光によって照らされているならば、不誠実な部分を素直に認め、嘘偽りから離れて、正直な者として歩むべきではないでしょうか。 |
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