検見川聖書バプテスト教会
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  離婚について(2)  

2007年8月19日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書5章31〜32節

[31]また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』と言われています。 [32]しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。

説教要旨

前回は、1:離婚とは何か、2:離婚についての律法の真意、3:離婚の真意を見失っていた当時の人々についてとりあげました。今回はその続きです。

離婚に至るまでのプロセス
まず考えたいのは離婚に至るプロセスです。前提となるのは、「結婚している」ことです。結婚とは、男女双方の合意に基づいて法的に婚姻関係を結ぶことですから、最初から嫌いな相手ではないのです。

しかし、結婚生活を続けていくなかで夫婦の絆に亀裂が生じるような問題が起こります。−コミュニケーションの欠如、満たされない情緒的欲求、性格の不一致、不倫、配偶者が支配的、アルコール依存、暴力etc。−このような問題が複合的に絡み合うことによって、夫婦関係が悪化していき、最終的に「離婚」が選択されるのです。離婚観が多様化している現代ですが、多くの夫婦はこれ以外に選択肢がない状況に立たされて、止む無く決断しているのではないでしょうか。

イエス・キリストの離婚規定
しかし、イエス様は言われます。「誰であっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。」(32節)。不貞(不倫)以外は離婚の理由にならない、と言うのです。このような厳格な離婚規定は、すでに夫婦関係が破綻して苦しんでいる人々の脱出口を塞ぐことにならないでしょうか。離婚以外に選択肢がない人たちは、ひたすら我慢して、苦しみの只中に留まるように命じられているのでしょうか。そうではありません!このことばの真意は別のところにあるのです。

第一に教えられていることは、結婚の「神聖性と不可分離性」です。この説明をイエス様は別の箇所で述べています。「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、二人は一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはいけません。」(マルコ10章6〜9節)。ゆえに、罪ある人間の営みのただ中に神が介入して絆をしっかりと結び合わせてくださった厳粛な事実を覚えることが勧められているのです。

第二に教えられていることは、結婚生活における「愛と赦し」の実践です。本来、私たちは神との関係において断絶状態にあり、赦され得ない者でしたが、神はキリストの十字架の死と復活によって愛と赦しを与えてくださいました。これを夫婦関係において実践することが勧められているのです。以上のことからイエス様は、脱出口をふさぐような厳しいことばを通して、夫婦という関係がお互いに向かい合い、赦しあう関係になることを求めておられるのです。



最後に、使徒パウロのことばに耳を傾けましょう。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛された者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、・・・互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。」(コロサイ3章12〜15節)

 
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