検見川聖書バプテスト教会
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  橋のない川  

2007年7月8日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ヨシュア記3章

[1]ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。 [2] 三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、 [3]民に命じて言った。「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。 [4] あなたがたと箱との間には、約二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」 [5]ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」 [6]ヨシュアは祭司たちに命じて言った。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡りなさい。」そこで、彼らは契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って行った。 [7]主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。 [8]あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」 [9]ヨシュアはイスラエル人に言った。「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」 [10] ヨシュアは言った。「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人を、必ず追い払われることを、次のことで知らなければならない。 [11]見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。 [12]今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。 [13]全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」 [14]民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。 [15]箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが―― [16]上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。[17] 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

説教要旨

検見川聖書バプテスト教会は、本日7月8日開拓25周年を迎えました。この記念すべき節目の時をどのように迎えるべきか。ヨシュアによって導かれていた主の民の姿を通して、今後の教会の歩みについて思いを巡らせていきましょう。

大きな節目の時を迎えていた主の民
この時のイスラエルの民は、【1】指導者の交代(モーセからヨシュア)、【2】民の世代交代(出エジプトを経験していない世代)、【3】段階の移り変わり(荒野から約束の地)などの点で大きな転換期を迎えていたと言えます。しかも民の行く手には、春先の濁流に渦巻く「橋のない」ヨルダン川がその前進を阻んでいたのです。人間の力では突破できない状況です。このような状況の中で、イスラエルの民はどのような反応をしたのでしょうか。

神の約束を望み見ていた主の民
意外にも、この時の民の中に秩序の乱れや不満の声は見られませんでした。それどころか、「橋のない川」に直面していないかのように落ち着いて、ヨルダン渡河のための準備をしているのです(2〜6節)。その理由は、【1】これまで繰り返し語られていた主の約束を信じていたこと(申命記1章6〜8節)、【2】指導者ヨシュアに神からの励ましと確信が与えられていたこと(ヨシュア1章2〜9節)、【3】主の約束が確かであることを他者の証言によっても確認していたこと(2章のラハブの証言)等があげられます。ですから、このような困難な状況にあっても、集団としての秩序と一致を保つことができたのです。

橋のない川を渡った主の民
神の約束を望み見ていたイスラエルの民がこの「橋のない川」をどのように渡ったのか。御言葉が証言していることは、渡る方法の全てを神が指示したということです。まず先立って歩んでくださる神(契約の箱)の後に続くこと(3〜4節)、次に身をきよめること(5節)、最後に神のことばに100%信頼して一歩踏み出すということです(8節)。

彼らに求められていたことは、何も難しいことではなく、ただ素直に神の指示(ことば)に従うことだけだったのです。時として神が提示される方法が、ただ無謀で愚かにしか思えないことがあります。しかし、神が確かに言われていることならば、理屈を並べ立てないで、ただ信じ従うことが主の民にふさわしい態度なのです。なぜなら、神は人間の理解や経験を超えた不思議を成すお方だからです。−不信仰な人はこの一歩がなかなか踏み出せない。− イスラエルの民は、素直に信じて御言葉に従った結果、主の不思議な御わざを体験することができたのです(14〜17節)。



最後に、この「橋のない川」を渡った主の民の姿から幾つかの事実を覚えたいと思います。第一に、25年間歩み続けたこの教会も、主の民としての信仰と従順をもって、幾度となく「橋のない川」を渡ったという事実です。第二に、新たな段階に向かう教会の行く手にも、前進を阻む「橋のない川」が備えられているという事実です。

私たちは、この「橋のない川」に近い将来直面することを覚えつつ、先だって歩まれる主の後に素直に従っていく群れでありたいと思います。

 
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