![]() |
![]() |
||
2007年5月6日(日) 礼拝説教要旨 |
|||
聖書箇所:マタイの福音書13章10〜17節 |
|||
[10]すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」 [11]イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。 [12]というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。 [13]わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。 [14]こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。 [15]この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』 [16]しかし、あながたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。 [17]まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。 |
|||
説教要旨 |
|||
聖書には、さまざまな問題によって傷つき、疲れ果て、「癒し」を求める人々が数多く登場し、それらの人々を対象とした「癒しのメッセージ」が記されています。しかし、意外にも同じ聖書のなかに、「癒されない人々へのメッセージ」があることをご存知でしょうか。イザヤ書6章9〜10節、マタイ13章14〜15節、ヨハネ12章:40節、使徒28章25〜27節 ※新約はイザヤ書からの引用。これらの箇所は、多くの人が戸惑いを覚え、理解に苦しむところだと思います。 語られた人々の特徴とメッセージの要点 祝福のことばを頂く弟子たち 残念ながら、群衆たちに代表されるような人間のかたくなな姿は、聖書の時代のみならず現代の日本人の中にも蔓延しているものではないでしょうか。聖書を読みながら、教会に行きながら、キリスト教に接していながら、本当のイエス様に出会えない人が何と多いことでしょうか。ヘブル書の御言葉が私たちの心に訴えかけてきます。「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったのです。信じた私たちは安息にはいるのです。」(ヘブル4章2節)。さて、私たちは「癒される人」と「癒されない人」どちらの人になりたいでしょうか。 |
|||
Copyright (C) Kemigawa Bible Baptist Church All Rights Reserved. |
![]() |